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【まち歩き】映画になる街・尾道のまち歩きツアー[尾道映画祭2025]

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1月26日、広島・尾道で行われたイベント『尾道映画祭 2025』にて街歩きイベント『映画になる街・尾道のまち歩きツアー』が行われました。

このツアーは尾道の街の課題となっている空き家問題への取り組み、再生活動から街の活性化を図ることを目的として設立されたNPO法人『尾道空き家再生プロジェクト』の主催によって行われた催しです。

普段は月一回、毎月第一金曜日に行われており、西周りコース、東回りコースという格好で交互に実施されているものですが、『尾道映画祭 2025』で初めて開催されたこの日は、尾道市の西土堂町、東土堂町、三軒家町といった街並みをロケ地や映画人にまつわる話も盛り込み、約二時間のスケジュールで周遊しました。

今回はこのツアーで紹介された印象的な建物、風景などを、『尾道空き家再生プロジェクト』の代表理事・豊田雅子さんのミニインタビューとともに紹介します。


映画のシーンの光景をとどめた風景


独特の雰囲気を持つ尾道・土堂地域の街並みは、かつて大林宣彦監督にも愛され、映画のシーンを飾った場所があちこちに存在しています。特に今でもそのシーンを彷彿させる場所は多く残されており、映画ファンの聖地巡礼として人気の場所となっています。


旧和泉家別邸

(通称『尾道ガウディハウス』)


建物が作られたのは昭和8年、90年くらい前の家。もともと木の箱を作る商売をしていた和泉家の別荘として建てられたものです。見た目に反して敷地面積は10坪くらいの狭さで、クネクネと曲がる小道に沿わせるような壁面や昔のままの姿を残す台所、カーブを描くように設置された階段など、見どころもいっぱいで、登録文化財ながら現在は一棟貸しの宿として運用されています。

この建物や周辺の小道の景観は、大林宣彦監督作品の『さびしんぼう』『ふたり』やアニメ『かみちゅ!』『蒼穹のファフナー』などでも登場するシーンがあり、多くの人に親しまれています。




屋敷跡石垣

(千光寺新道沿い)


千光寺新道に面した大きな石垣で、もともと天野春吉という豪商の屋敷があったといわれる跡地です。石垣の上には現在、元マンションだった鉄筋コンクリートによる三階建ての建物が建ち、建物はホテル、カフェなどの複合施設として運用されています。
写真のこの光景はアニメ『蒼穹のファフナー』などでも見ることができます。


陸橋

(海福寺前)


土堂地域のふもとを横切る山陽本線の上部から住宅街に入る道の一つ。この場所は大林宣彦監督作品『転校生』で、ヒロインを務めた小林聡美が自転車でこの道を駆けあがった有名なシーンがあります。

土台部分には線路の部材が使われており、ある程度の強度が確保されています。そのため軽自動車くらいであれば入ることを許されており、この地域の近くに車が乗り入れられる数少ない道路として重宝されています。


新たな形に再生した建物

尾道にある数々の印象的な空き家を次の時代に引き継ぐべく、新たな形に再生してきた『尾道空き家再生プロジェクト』。その実績は、先述の「尾道ガウディハウス」をはじめさまざまにユニークな建物を生み出しています。

松翠園(しょうすいえん)大広間

(写真は入り口部分)



かつて旅館として使われた建物の跡で、離れの宴会場は60畳の大広間となっています。戦後すぐに建てられた建物で、約16mの廊下には一枚板が使用され、時代的に手に入りにくいと考える素材も使われるなど非常に貴重な建物でしたが、10年程空き家となってボロボロになっていた建物を再生、現在はこの広さで泊まれるようなスペースとしてだけでなくフリースペースとしても活用されており、展示や、映画試写イベント、マルシェ、コスプレ(撮影)イベント、結婚パーティー、ライブ、ヨガイベント、「カラオケ天国」、「空き家談議」などさまざまなイベントで利用されています。


三軒家アパートメント


以前は「楽山荘」という名の古いアパートで、昭和30年代くらいに建てられた建物。二棟にそれぞれ四部屋、六部屋があり、風呂無し、共同トイレ。もともと別プロジェクト進行時に空き部屋を荷物置きとして使用していましたが、終了時にすべての部屋が空きとなり、持ち主が以後の扱いを持て余したということで15年程前にリノベーション。

クリエイターに向けたスペースとして使ってもらうことを目的に運用を開始し、現在は喫茶店、貸しスペース、アトリエ、ギャラリー、古着屋、卓球場、レコード屋、古本屋などで利用されています。また、島田角栄監督の映画『乱死怒町より愛を吐いて』(2015年)のロケでも使用されました。


その他

土堂地域は山の斜面に家々が建てられ、細い坂道や階段状の小道が並ぶ街並みとなっており、家の入り口が一階、二階と二カ所にあったりと特徴的な構造が多く見られます。また街のあちこちに、港町として栄えたという様子を偲ばせる跡もさまざまに発見することができます。


井戸

(写真は土堂小学校近く)


尾道のこの地区は、現在は個別にポンプでくみ上げていますが、かつては近隣に大きな川がない代わりとして、このような井戸が多く掘られ、共同で使われていたといわれています。今でも井戸水は使用されており、西日本豪雨災害時には二週間ほどの断水が続いた中でこの地域ではその影響を受けずに過ごせたそうです。


志賀直哉旧居前

文学公園入り口そばの壁面



壁に丸い模様がありますが、実はこれ、酢を入れていた瓶の底。
かつてガラスなどがまだなかった時代に酢は素焼きの瓶に入れられ、北前船で尾道から積み出されていたと言われています。この壁はそんな陶器の酢瓶を再利用しており、時代の名残を示しています。

小説の神様と言われる文豪、志賀直哉が実際に暮らした建物も尾道水道が見下ろせる坂の上に残されています。不朽の名作『東京物語』のロケ地に尾道が選ばれたのも、小津安二郎監督が慕っていた志賀の勧めがあったからだと言われています。




また西土堂町の山の上側にある古い空き家には、三角屋根の建物が目立ちます。

約850年前ころから港町として発達してきた尾道は、現在の市役所があるあたりが海からの玄関口で町の中心でした。そこから西に離れたこの地域は郊外のようなエリアでしたが、明治24年に尾道に鉄道が敷かれ今の場所に駅ができることにより発展し、地元の大工が見よう見まねでこのようなとんがり屋根の、ハイカラな和洋折衷デザインの家を建て、駅長、船長、校長先生といった身分のある人がこぞって住んでいたといわれています。

この日はほかにも、大林宣彦監督や作家の林芙美子がかつて通われたという(旧)尾道市立土堂小学校や、映画だけでなく文学面でもいわれのある寺社など、多くの見どころが紹介されました。


ミニインタビュー

NPO法人『尾道空き家再生プロジェクト』代表理事・豊田雅子さん

──もともとこのプロジェクトは、どのような思いがきっかけで発足したのでしょうか?

[豊田]  発起人は私ですが、同世代の方でこういった活動が好きだ、面白いな、と思ってらっしゃる方や、空き家に住み始めたりちょこちょこと活用されたりする方が増えていた時代でした。そしてそんな方が最初は30人ぐらいの市民団体として立ち上がり、翌年に法人化して現在に至った格好です。

私にとって尾道は故郷ですが、大学で尾道を離れ都会に住んでいても「尾道はいい場所だったな」と思っていたんです。また客観的に見ても尾道という場所の貴重さは非常に重要なポイントだと思います。山も海もあり、自然にも恵まれて、昔は栄えていた名残もあったり。そしてそれほど「ド田舎」という感じでもなく、人の顔が見えるコミュニティーが残っている場所は珍しく、その貴重さを、尾道を離れた後で強く感じました。

尾道を出てからは8年くらい海外で旅行の添乗員をしていたんですが、仕事で行く先にはとても狭くて不便で、車も入れないような場所だけど、すごく魅力的で海外から旅行者がたくさん訪れる、そんなところもたくさんありました。

そのように歴史から文化、自然を大事にしつつ、街の活性化という面で成功している事例をたくさん自分の目で見たんです。そして同時にその要素は尾道にも十分あるし、そこに磨きをかけるべきで「尾道も同じようにできるんじゃないか?」と考えたんです。


──実際にプロジェクト発足するまでの経緯を教えてください。

[豊田]  尾道を離れた後も「いつかは尾道に帰りたい」とずっと考えていて、実際に帰ってきたときにまず自分で使うためのセカンドハウスを探していました。その物件を六年くらい探していたんですが、探していると昔のいい家があちこちにあって、本当に潰してしまうのがもったいないと思っていました。

一方でそのころは尾道に移住してくる若い人や、同じような価値観を持っている知り合いも増えていきました。

ちょうどブログが流行り出していたころだったので、空き家の修繕日記みたいなことをブログに書くと、大変な数の問い合わせをいただくようになっていました。1年で100人くらいの人が「どこかないですか?」「移住したいんですが」って。

こんなに不便な場所なのに、それほどのニーズがあるというのであれば、うちの家族でやるよりも団体で活動がした方がいいと思い、団体を立ち上げたという感じですね。


──このプロジェクトを通じて目指すもの、または根付いてきたと感じることはどのようなものだと思われますか?

[豊田]  例えば空き家の持ち主が現在この尾道に住んでおらず、自身の家や尾道の価値を理解しないまま空き家を簡単に壊してしまうようなケースが結構あります。このプロジェクトでは、そんな魅力が減っていくという現実を変えられないかと考えています。

尾道ならではのよさがあったのに、都会のマネだけしてそのよさが無くなっていくのが寂しい。かつて大林宣彦さんも「尾道が尾道でなくなっていくのが悲しい」といわれていました。

だから例えば、私のように若い人は一度は尾道を出て、違うところに住んでみて「ああ、やっぱり尾道っていいな」と思ってもらえるような方向に進んでいけば、今実施していることも大きな意味になるのではないかと思うんです。

今までやってきていること自体は、完全に成功しているとも思っていませんが、尾道への思いを持ち続けるスピリッツ、そしてその思いを持っている人は残っていってほしいです。

空き家を再生した事例が増えてくることで、我々を介さずに尾道に入ってこられる方もおられるので「尾道は古いものに磨きをかけて、そのよさをアピールするところ」そんな意識が尾道の街づくりの基礎に徐々になりつつあるんじゃないか、とも感じています。


NPO法人『尾道空き家再生プロジェクト』 オフィシャルサイト

http://www.onomichisaisei.com/


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ライター紹介 ライター一覧

桂 伸也

桂 伸也

“和”という言葉で表現されるものには、人によって色んなイメージがあると思いますが、私は“整然として落ち着いたもの”という雰囲気を感じ取っています。

普段は芸能系ライターとして活動を行っており、かなり“にぎやかな”世界に生きていますが、その意味で“和”という言葉から受ける雰囲気に、普段から強い憧れや興味をもっていました。

なので、そんな素敵な“和”の世界へ、執筆を通して自らの船を漕ぎ出していきたいと思っています。

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