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【野地耕一郎】渡辺省亭が到達した、写実を超えた真骨頂とは? 「渡辺省亭−欧米を魅了した花鳥画−」インタビュー

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渡辺省亭との出会い

ーー展示をご覧になっての率直なご感想を教えて頂けますか?

念願がかなって非常に嬉しかったですね。私が最初に渡辺省亭の作品と出会ったのは、私が社会人になったばかりの頃でした。

その頃は作品もまだ数点しか確認されていない状態でしたから、そこから約40年後に、東京藝術大学大学美術館という非常に立派な展示会場で展覧会が観られて、感無量です。


ーー約40年も前から渡辺省亭に注目されていたのですね。先生が最初に省亭の作品と出会われたきっかけを教えて頂けますか?

当時、私は日本橋茅場町にあった山種美術館で、学芸員として所蔵品の調査や作品展示の仕事をしていました。その中で、渡辺省亭の「葡萄と鼠」(※本展には未出品)という作品と出会うわけです。

「葡萄」や「鼠」は、古来から子孫繁栄を象徴するモチーフで、日本や中国の古典絵画の中で多くの画家によって描かれてきましたが、省亭の描く「葡萄と鼠」は、伝統的な江戸時代までの絵画の表現とかなり違っていたんです。細かい毛描きで立体的に表現された鼠や、房の中にみずみずしい果実が詰まっているような葡萄の質感など、客観的な写実力に非常に優れた画家だな、と思いました。

東洋絵画の伝統的な描画法や色彩感を持ちつつも、どこかヨーロッパの静物画のような雰囲気のある作品に、「一体この画家はどういう人物だったのだろうか」という興味をかきたてられましたね。


ーー先生は、そこから省亭に着目されるようになり、個人的にも様々な調査を行ってこられました。具体的にどういった調査、研究をされてきたのかその概要を教えて頂けますか?

最初の出会いから十数年の間、少しずつ調べるうちに、ヨーロッパやアメリカに多数の作品が残されていることがわかってきました。その一方で、国内ではなかなか有力な作品に出会えませんでした。

調査に進展があったのは、1999年に、明治~江戸時代に活動した歴史画家・菊池容斎と明治美術の関係性をテーマとした『没後120年―菊池容斎と明治の美術』(練馬区立美術館、1999年10月24日~12月5日)で展示を担当した時でしたね。


客観的な写実性に江戸の粋

ーー菊池容斎といえば、渡辺省亭の師匠でしたね。

そう。展覧会を準備中に、菊池容斎の末裔にあたる方と偶然知り合うことができたことが、省亭研究が進展するきっかけになりました。

その方は、全23集で1200万部を売り上げた新書のベストセラー『頭の体操』を書かれた高名な心理学者の多湖輝先生という方なんです。そこで、多湖先生が大事にされていた容斎の関連資料の調査を行った際に、省亭がどういった教育を受けたのかという内容が事細かに書いてある資料を見つけました。


ーーそこから、省亭についてどういった事実が判明したのですか?

資料から見えてきたのは、弟子・渡辺省亭から見た師匠・菊池容斎の人物像でした。

省亭の証言によると、菊池容斎という人は、非常に科学的な思考を持った進歩的な人でした。たとえば、今、美術学校などで、モデルを真ん中において360度様々な角度から人物をデッサンする教育方法は、ごく一般的になっていますよね。それを容斎はすでに江戸時代にやっていたんです。しかも、美術解剖学的な観点から絵画を探求している。西洋医学の知識を持った医者をスタッフの中に入れて、自分が描いたデッサンを解剖学的に正しいか校閲しているんです。


ーーつまり、そんな容斎から、当時の最先端の美術教育を施された人が、渡辺省亭だったということなのですね?

そう。何を描くにせよ、自然科学的に合理的であるかどうかをまず検証した上で、客観的な写実性を追求した絵を描くように教育を受けているんです。それと同時に、江戸の粋みたいな、日本固有の情感みたいなものをも持ち合わせているのが、省亭作品の特徴ですよね。

それを改めて実感できたのが、その後半年くらいかけてヨーロッパ各国やアメリカを回り、欧米の名だたる美術館・博物館に収蔵された省亭の重要作品を調査した時でした。


ヨーロッパで知られるきっかけ

ーー先生が海外を回って様々な省亭の作品を視察された中で、一番感慨深かった作品との出会いについて、教えて頂けますか?

実は、省亭の作品が欧米の人たちに知られるようになるきっかけとなったのが、省亭が作品を出品した、1878年(明治11年)のパリ万博です。

その当時の省亭は、欧米に日本の美術工芸品を売り込むために設立された「起立工商会社」という半官半民の貿易商社で、デザイナーとして工芸品の下絵を描いていました。そこで、省亭は伝統的な図案ではなく、欧米人の好みにあったデザインを考案しますが、その下絵がまず欧米人の目に触れるわけです。

一方で、彼は本画、つまり下絵ではなく通常の絹本に絵を描く活動も継続しているのですが、その中で非常に印象に残ったのが、渡欧直前、省亭が第一回内国勧業博覧会のために描き、そこから選抜されてパリ万博にも出品された「群鳩浴水盤ノ図」(※フリーア美術館蔵、公式ガイドブックP19 に掲載)でした。※展覧会には出品されていません


ーーこの絵は、現地で評判になったのでしょうか?

そうですね。パリっ子たちに非常に注目を浴びました。この絵を、「絵の勉強のために」と購入した画家が、ジュゼッペ・デ・ニッティスというマネの弟子だったイタリア人の印象派画家でした。そして彼が、当時親しかった画家仲間に見せるわけです。すると、こいつは凄いぞということになって、パリにまだ滞在中だった渡辺省亭を呼んで、デモンストレーションをさせるんです。こんなことは、空前絶後といっていい。

この席画会で描かれた作品の一つが、本展にも出品されているエドガー・ドガ旧蔵の「鳥図(枝にとまる鳥)」。為書きには「為ドガース君 省亭席画」と書かれています 。


「鳥図(枝にとまる鳥)」明治11年(1878)紙本淡彩 1 図 24.4×19.4cm クラーク美術館 アメリカ


実は、ニッティスはその後すぐにこの「群鳩浴水盤ノ図」を手放してしまうんです。

この作品の実物をどうしても見たくなった私は、それでロンドン、ベルギー、フランス、イタリア、ポーランド、ドイツとくまなく回ったのですが、かろうじて版画化された作品は見つけたものの、実物はどこにも見当たりませんでした。後で分かったことですが、私がちょうどヨーロッパで調査を継続している時に、ロンドンの画商が、フリーア美術館にこの絵を売却していたわけです。

それが、今から5年ほど前に分かったんです。そして、その実作品を発見した人が、本展を担当した古田亮さんでした。「フリーア美術館の所蔵になっていましたよ」と私に教えてくれました。すぐに飛んでいって、対面を果たしました。本当に感動しましたね。


「牡丹に蝶の図」に見る画技の凄味

ーー先生は、かつて誌上対談にて、明治20年代以降の省亭の作品には、写実を超えた「写意」がある、とおっしゃっていますが、その意味をもう少し詳しく教えて頂けますか?

明治20年代の後半になると、省亭はいかに写実的な、客観的な絵を作るかということだけでなく、人生観や死生観といったニュアンスも絵画の中に含ませるようになるんです。

きっかけはいくつかあると思いますが、明治23~25年くらいにかけて、『美術世界』という木版摺の雑誌の編集を担当したことが大きかったと思います。 そこに、毎回、自分の作品だけでなく、自分が私淑する北斎をはじめ前時代の作家の作品を掲載していくわけです。それによって、省亭の「目」の感覚が少しずつ変化を遂げていったのではないかと思えるんですね。


ーーといいますと?

つまり、客観的な写実を突き詰めて絵を描いてきた省亭が、自分が尊敬する絵師などの古典的な名画を見て、どうしてここに惹かれるのだろうかと考え直すきっかけになった。

先人達の作品のモチーフや画題の中に含まれた、「思い」や「意図」を深く理解し、それを自分の絵の中にも含ませるということを、真剣に考え始めたのが明治20年代の省亭だと思います。


ーーその真骨頂が、本展のメインビジュアルとしても選ばれた、明治26年に描かれた「牡丹に蝶の図」であるわけですね。

そう。ちょうど『美術世界』の編集が終わった頃です。

まずは、この絵の牡丹によく注目してみてください。花びらが1枚、2枚と落ちている。つまり、枯れ始めているということですよね。それから、満開の牡丹もある。また、葉っぱの中にも生きているものもあれば、病葉も描かれていますね。

つまりここには、芽が出て、花を咲かせ、種を残していくという時間の経過が描かれている。私たちは、この絵を見ることによって、生命ってこういうものだよね、ということをそこはかとなく感じるわけです。
これこそが、明治20年代後半以後の省亭の作品に込められた写意なんです。情感表現ですね。

これが絵なんだ、絵を描くことの意味なんだということに省亭は思い至ったわけです。また、この作品にはもう一つ大切な見どころがあるんです。


「牡丹に蝶の図」明治26 年(1893)絹本着色 1 幅 143.6×69.4cm


ーーえっ、それはどこにあるのでしょうか? 非常に気になります。

それは、サイン(落款)の書き方。右側の葉っぱの隅に隠れるように、サインがちらばっていますよね。わかりますか?


ーー確かに、散らばっていますね。

普通なら、続けて1~2行書いてハンコを押すところですが、この絵では、それとなく茂みの中に紛れ込ませるように、葉っぱの間にチラシ書きされているわけです。

つまり、ある意味隠し落款ともいえるんですよね。そこで、絵から少し離れてサインのところを辿ると、まるで、茎や枝のように見えるんです。


ーー見えますね!

見えるでしょう? このチラシ書きが、左側の枝や茎の部分と呼応するような構図を作り上げているんです。本当に良く考えられていますよね。この意外性こそが、省亭のもう一つの魅力といえるでしょう。


「独り占め」できる贅沢な展示空間

ーーところで、写意を極め、作家としても充実期を迎えた明治20年代が終わり、明治30年代に入ると、省亭は中央画壇からは身を引き、以降は半分引退したような状態で町絵師としての活動に専念しますよね。これはなぜなのでしょうか?

欧米での美術の受容の仕方がちょっと変わってきているということと、日本における画壇の成立ということが挙げられると思います。

欧米では、印象派から後期印象派、アール・ヌーヴォーからアールデコに変わってきますね。一方、国内では、岡倉天心による日本美術院など、画壇が成立し始めます。彼らは、会派を結成して、大きな展覧会場で大きな作品を展示して賞を獲得することに心血を注ぎ始めます。

明治40年代になると文部省美術展覧会、通称「文展」がスタートして、全国的な公募展が大会場で開かれるようになりますね。そうすると、人々の関心というのは、徐々にそっちの方に移っていくわけです。また、海外の展覧会へ出品するための国内審査で省亭が落選したこともありました。

省亭の心の中に分け入って考えてみるならば、そういったことが重なったことによって、公募展などで競争するということを忌避するような精神性が心の中に芽生え始めたのではないか、とも思えますね。また、人と群れてワイワイやるというより、孤高の境地を守るという気持ちが強かった省亭には、画壇の雰囲気が合わなかったのかもしれません。


ーーそれで、以降は町絵師のような形で隠棲生活に入っていったのですね。

もともと省亭は自分のために描くよりも、人のために描くことに喜びを見出していた人でもありました。だから、公募展での出世よりも、顧客の趣味や嗜好に合わせて、注文主のために描くということに、神経を集中していたような気がします。あるいは、彼はすでにパトロンもたくさんいたわけですから、彼らの欲求にも応えていかなければならないという責任感もあったでしょう。

次第に画壇とは付き合いをしなくなり、離れていったのが、明治30年代前後だったというわけですね。


ーーこれから、渡辺省亭展に来場されるファンの方々に、野地先生の考える展覧会の魅力やみどころを教えて頂けますか?

特に、今回は省亭の没後最初に開催される回顧展ですよね。省亭がどんな人で、どういった作品を残したかということを見る絶好のチャンスです。

また、今後もなかなか観られないような、海外の質の高い重要作品が藝大に里帰りしているという点も見逃せません。省亭の画業の全容を見ることができる、非常に優れた展覧会だと思いますね。


ーー会場の展示構成について、特に注目されたポイントはありますでしょうか?

省亭という人は、「床の間芸術」に心血を注いだ人なんです。

大きな作品はそれほどなく、比較的小さな、手のひらサイズの絵画を描いた人でした。だから、楽しむ時は1点を一人で見るということが基本条件になるわけです。

普通の美術展では、大きな作品を大勢で見るというのが一般的ですが、省亭の場合は独り占めが基本。その点、この展覧会では、コロナ対策も含めて、他の人と離れて独り占めして見られる空間が非常にうまく表現されていますよね。だから、ぜひ独り占めの感覚で見てほしい。この絵を「私のもの」として見るということこそが、省亭にとっての最大の喜びなのではないかと思いますね。


ーー最後に、来場者の方にメッセージをいただけますか?

今日は、省亭の命日です。(※取材日は4月2日)そんな日に取材を頂けたので、私は本当に嬉しく感じています。4月2日は、渡辺省亭の息子で俳人の水巴が自分の父親のために「花鳥忌」と名付けたとされています。

ちょうど省亭が亡くなってから約100年が経過しているわけですが、140年も前に、グローバルな活動をしていたこんなにも凄い孤高の画家がいたのだ、ということをまず知っていただきたいですよね。

残された作品を見ると、写実力はもちろん、命あるものが持っている運命のようなものを写し取る写意までも感じられる。 だから、渡辺省亭の作品には、鑑賞者自身の人生を振り返るきっかけを与えてくれる力があるのだと思いますね。ぜひ、絵を独り占めにしながらも、その絵の中で遊び、これまでの自分の来し方行く末を想ってみるということをしていただければと思います。


 


東京藝術大学大学美術館は、緊急事態宣言に伴い、新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止のため、2021年4月25日(日)より臨時休館いたします。
それに伴い「渡辺省亭―欧米を魅了した花鳥画―」は開催を一時休止しております。
詳しくは、公式サイトをご確認ください。

渡辺省亭-欧米を魅了した花鳥画-

2021年3月27日(土)~5月23日(日)
※会期中展示替えがあります。

[会場] 東京藝術大学大学美術館
https://www.geidai.ac.jp/museum/

[開館時間] 10:00〜17:00(入館は16:30まで)

[休館日] 月曜日

[観覧料(税込)] 当日:一般 1,700円 高校・大学生 1,200円
※中学生以下無料。
※障がい者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料(入館の際に障がい者手帳などをご提示ください)
※会期中、入場制限および、入場日時指定予約を実施する可能性がございます。
※最新情報はホームページでご確認ください。

[主催] 東京藝術大学、東京新聞、NHK、NHKプロモーション
[協賛] DNP大日本印刷、ロート製薬
[問い合わせ] ハローダイヤル 03-5777-8600

[巡回]
岡崎市美術博物館 2021年5月29日(土)~7月11日(日)(予定)
佐野美術館 2021年7月17日(土)~8月29日(日)

[公式ホームページ] https://seitei2021.jp


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