【見立て】より面白くさせる! 文学・庭園・茶道に使われる芸術表現の効果を解説。卵黄を月になぞらえた“月見そば”も
「見立て」とは?
何かを表現するときに、そのまま表現するのではなく、別のものに置き換えて(なぞらえて)表現する技法です。
例えば、落語家が扇子を使って別のものを表現しようとしている動作もそのひとつになります。
“扇子を上下してそばを啜る仕草”をしていたら“箸”を表わしているのが分かりますし、“口元に近づけて煙を吐き出すような仕草”をしていたら“キセル”を表わしているのが分かります。
“卵黄”を“月”になぞらえている「月見そば」も日本の食文化のなかでの見立ての範疇です。
日本では文学や造園をはじめとする様々な芸術分野に「見立て」が取り入れられ、その芸術をよりいっそう面白くさせる効果を備えています。
今回は「見立て」について、文学、庭園、茶道の具体的な例をもとにひも解いていきます。
文学の見立て
日本文学の見立ての表現は古くから存在し、1000年以上前から神話や和歌などに用いられています。なかでも平安時代前期に編纂された古今和歌集には、多くの見立てが表れており、以下の紀貫之の和歌はその代表例です。
桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける
(現代語訳:桜の花が風で散ってしまった名残には、水のない空に波が立っているようだ)
この和歌のポイントは、桜の花びらが散って空中に舞っている様子を海に波が起こっている様子に置き換えているところです。
現代語訳だけでは分かりづらい点もあるかもしれませんが、桜の花びらがひらひらと揺れ動く光景を水のないはずの空に波が立ったと言い表しているのです。
直接花の動きを描写するよりも、波を連想させ結び付けることによって、より趣のある風景へと組み立て直されるという見立ての効果をいかしています。
庭園の見立て
日本庭園も伝統的に見立ての技法を多用してきました。
その代表例が枯山水で、水をいっさい使用せずに、雄大な自然の景観を砂や石を使って表現しています。なかでも白砂に描かれる砂紋が水を表わす重要な仕掛けとなっており、その模様でさざ波や渦などの水の動きを想像させています。
他にも、鶴や亀をモチーフにした岩や須弥山(しゅみせん)という聖なる山を表現した石の組み合わせなども、枯山水によく用いられる見立ての表現となります。
宗教的な願いや哲学的なメッセージを込めることが多い枯山水では、仏教の世界観や神仙思想を石組みに置き換えて表しています。
茶道の見立て
一般的に茶道において見立てと言った場合、別の目的で存在していた製品を茶道具として取り上げたり、茶道具を本来とは別の用途で使用したりすることを指しています。
例えば「桂籠(かつらかご)」と呼ばれる花入れは、もともと京都の桂川の漁師が魚をとるときに腰につけていた魚籠(びく)を千利休が譲り受け、茶道具に転用したものです。
また、釣瓶水指(つるべみずさし)は、利休の師匠の武野紹鴎(たけのじょうおう)が井戸から汲み上げた水をそのまま水屋に置くために発案し、それを利休が茶室に持ち出して水差し(茶碗や釜に入れる水を貯めておく道具)として利用したのがはじまりだと考えられています。
現代でもヨーロッパのガラス細工などが茶器や水差しに見立てられ、透明感のある涼し気な雰囲気を持った道具として夏によく使用されています。
武野紹鴎は弟子に残した文章のなかで「数寄者ハ捨レタル道具ヲ見立テ茶器二用候事(茶人は誰もかえりみない道具を見立て茶器に用いる)」と記しており、昔から見立てが茶道において大切な要素だったと考えられています。
おわりに
2つの性質の違うものを結び付けて表現する見立ては、古くから様々な芸術に取り入れられてきました。
ただ、見立てに受け手と表現者との共通認識が必要で、それが何を表わしているのかを共有する力が必要になってきます。
具体的な見立ての仕組みを見ていくことによって、その芸術をより深く理解するきっかけになると思っています。