【椿餅】源氏物語に登場する日本最古の餅菓子! 桜餅、柏餅にならぶ和菓子
紫式部と源氏物語
紫式部とは?
源氏物語の作者である紫式部は、その生涯は未だ謎が多く実は分からないことが多い人物。これだけの大作を書き上げ、現代にまで多くの写本が伝わっているのに不思議なものです。そんな紫式部は、藤原為時の娘として978(天元元)年に生まれたとされ、学者である父のもとで漢学や和歌の手ほどきを受けました。
その後、結婚し子供を出産したものの夫は数年後に死去。源氏物語の執筆を始めた頃、娘の後宮に優秀な女性を入れようとしていた藤原道長の目に留まり、宮中へ上ることとなります。その娘は一条天皇の后、中宮 彰子(しょうし)です。紫式部は彰子の女房となり、彼女のもとで源氏物語を完成させました。
源氏物語とは?
源氏物語の主人公「光る君」は、今上帝である「桐壺帝」と「桐壺更衣」の子として生まれます。しかしながら母の桐壺更衣は、光る君が幼い頃に死去。桐壺帝は新しい后(父帝には多くの后がいました)として母にそっくりな顔をした藤壺を迎えます。光る君は、母がいない寂しさから藤壺を慕っていましたが、いつしか恋をするようになっていくのです。このように恋多き光る君の物語を主軸として、彼自身の人としての成長や、周囲の人間模様を細やかに時として叙情的に表現しています。
また源氏物語は、武家などの子女が嫁入りする際、必ず嫁入り道具となっていました。これは源氏物語が恋愛小説だったからではもちろんなく、深い学問や、教養に裏付けられた物語だったからです。紫式部は、学者の父に育てられたこともあり和歌や書道、音楽の教養を備えていました。
さらに当時、男性の学問として必須だった漢学を紫式部も学んでいたのは、学者の父ならではかもしれません。その他にも、男性貴族によく読まれた僧・源信の書いた「往生要集」(仏教書)も読んでいたと言います。このように源氏物語は、女性ならではの豊かな発想と、漢学で鍛えられた論理的思考力のもと書かれているのです。
椿餅ってどんな和菓子?
椿餅が登場する章
椿餅は、源氏物語の第三十四帖「若菜 上」で「柏木」(夕霧の親友、頭中将の息子)らが屋敷で蹴鞠をしたあとに食べていた和菓子です。下記に該当する原文・現代訳を掲載しています。
次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿もちひ、梨、柑子やうの物ども、さまざまに、箱の蓋どもにとりまぜつつあるを、若き人々そぼれ取り食ふ。さるべき干物ばかりして、御土器まゐる。
[現代訳]
蹴鞠のあと殿上人は、簀子の上に円座を置きそこに座ると、無造作に椿餅や、梨、みかんなどを色々な箱の蓋に盛り合わせ、若い人々はそれらを手に取りわいわいしながら食べています。他にも干物などをお酒の肴にしています。
椿餅の形状
椿餅(執筆者撮影)
椿餅は葉で包まれた和菓子の御三家とも言える花見の桜餅、端午の節句の柏餅に並ぶ和菓子。そのなかでもより歴史が深いのが、当時は「つばいもち」と呼ばれたこの椿餅になります。おそらくは平安時代中期以前からあったとも考えられますが、初めて椿餅の菓名が登場したのが源氏物語でした。
その形状は、道明寺粉(蒸した餅米を干して荒めに挽き乾燥させたもの)を蒸して丸め、上下を椿の葉で挟みました。小豆餡も何も入れず、形も至ってシンプル。味付けは、日本独自の甘味料である「甘葛煎」(あまづらせん)を用いています。甘葛煎は皆さんが知るサトウキビの砂糖とは違う、蔓性植物から採れる樹液を濃縮して作った甘味料です。また甘味料自体が大変高価な代物であり、帝や貴族など身分の高い人のみ食すことができました。
椿の葉を用いた理由としては季節柄、とされています。葉は常緑樹のため年中生い茂っているものの、椿の花は寒い季節に花を咲かせました。昔の人々はそんな強い生命力をもつ椿にあやかろうとしたと考えられているのです。白い餅を緑の葉に挟んでいる姿は、コントラストがはっきりとして洗練された美しさを演出していますね。
味については江戸時代に書かれた製法書「古今名物御前菓子秘伝抄書」にて、椿餅のことを「口中にてきゆるごとくにて味宜しきもの也」と絶賛していることから、きっと美味しいのだろうなと想像することができます。
現在も椿餅を作る和菓子屋が多数あり、そのなかでも著名なのが京都で店を構える「有職菓子御調進所 老松」です。形は昔のままで、多くの椿餅がそうであるのと同様に、餅の中には小豆餡が詰められています。
みんな大好きだった蹴鞠
椿餅は、前述の説明にもある通り、蹴鞠のあとに用意される定番の和菓子でした。しかしなぜ椿餅だったのかは分かっていないのです。ただ椿の木が、古来より厄除けに使われていたことや、蹴鞠を開催する庭園の四方に桜、松、柳、楓を植えたことが関係するのではないかと推測する研究者もいます。
その蹴鞠は、1400年前に中国から日本へと伝来した球技です。日本では宮中でさかんに行われ、貴族、武官、老若男女の区別なく参加が可能でした。そのため平安時代中期の書物にもしばしば蹴鞠の名は登場します。貴族男子の嗜みかと思いきや、蹴鞠人口はかなり多く江戸時代頃までその文化は続きました。明治維新後に一度衰退したものの、現在は京都市の「蹴鞠保存会」により春と秋の年2回、京都御所にて蹴鞠の奉納が行われます。
まとめ
椿餅って奥が深い食べ物ですね。
野菜や魚などと同じように、和菓子にも季節を感じることのできる旬の物は数多くありますが、椿餅もそのひとつです。
古典文学に登場するとなると、一度は食べておきたいなと思いませんか?
椿餅も、冬から春前まで店頭に置いている和菓子屋さんもありますので、ぜひご賞味ください。
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