【日本酒】魅力を解説! 歴史に8つの特定名称酒、代表的な産地
日本酒の歴史
日本で米を原料とした酒が造られ始めたのは、稲作が定着した弥生時代だと考えられています。日本酒の生成には、デンプンをぶどう糖に変化させる「糖化」とぶどう糖をアルコールに変える「アルコール発酵」が必要です。現代では麹菌を用いた糖化と酵母によるアルコール発酵を行うのが一般的ですが、初期の日本酒は「口噛み酒」の手法で造られており、加熱した米を口の中で噛むことで唾液に含まれる酵素で糖化し、野生の酵母によって発酵を進めていました。
日本が律令国家として次第に整備されていくと、宮廷儀礼などで利用するため、造酒司(さけのつかさ)という役所が置かれ、国家が計画的に生産を管理するようになります。平安時代後期には寺院や神社でも酒造りが行われるようになり、さらに時代が進み鎌倉時代から室町時代になると商業の活発化とともに民間の酒屋が出現するようになります。特に室町時代には幕府が酒税を取り立てる代わりに酒の売買が奨励され、飛躍的に酒屋が増加しました。当時の酒屋は土倉(どそう)と呼ばれる金融業を兼ねることが多く、裕福な町人として特権的な立場が与えられました。
そして江戸時代になると庶民にも清酒が流通するようになり、現在とほぼ同じような製造方法が確立します。低温加熱して殺菌を行う「火入れ法」や醪(もろみ)を作る際に原料を3回に分けて入れる「三段仕込み」が一般化するのも江戸時代です。また、冬場に仕込む「寒造り」が基本となり、酒造りを専門に行う杜氏集団が形成されるようになります。
日本酒の種類
一定の水準以上を満たした日本酒は製造される過程で、どれだけ米を削ったかを示す「精米歩合」と原料に水・米・米麹以外に純度の高い醸造アルコールを含んでいるかという「アルコール添加の有無」で8つの「特定名称酒」に選別されます。
例えば、「吟醸酒」は米を比較的多く削っている日本酒で、「純米酒」は醸造アルコールを使用しない日本酒だということが分かります。
吟醸酒など酒造りの際に米の表面を削り落とすことで、たんぱく質などの雑味の原因を減らしフルーティーでクリアな味わいに仕上げることができます。また、主にサトウキビを原料とする醸造アルコールを添加する理由は、余分な酸や糖分による雑味を抑え、さっぱりとした飲みごたえを生み出すためです。
以下に8つの特定名称酒の概要について、醸造アルコールを使用しない純米酒から紹介していきます。
8つの特定名称酒
醸造アルコールなし
(米と米麹と水のみを原料とした純米酒)
[純米大吟醸酒]
精米歩合50%以下。低温で時間をかけて発酵された「吟醸造り」で製造された日本酒。高級感のある味わいが特徴。
[純米吟醸酒]
精米歩合60%以下。「吟醸造り」で造られ、冷酒で飲まれることが多い。
[純米酒]
精米歩合の規定無し。米本来の旨味とコクを味わえる。
[特別純米酒]
精米歩合60%以下もしくは有機米の使用や低温熟成など特別な製法によって造られた純米酒。
醸造アルコールあり
(米と米麹と水以外に醸造アルコールを添加)
[大吟醸酒]
精米歩合50%以下。醸造アルコールを加えているため、すっきりとした飲みやすさが特徴。
[吟醸酒]
精米歩合60%以下。「吟醸造り」で造られたフルーティーで華やかな香りが楽しめる日本酒。
[本醸造酒]
精米歩合70%以下。辛口でキレのある味わいが多い日本酒。
[特別本醸造酒]
精米歩合60%以下もしくは特別な醸造方法で造られた日本酒。
日本酒の代表的な産地
日本酒は47都道府県で造られていますが、なかでも生産量が多く歴史的に日本酒造りが盛んな地域が兵庫県の「灘(なだ)」と京都府の「伏見(ふしみ)」です。「灘の男酒、伏見の女酒」と呼ばれ、辛口の日本酒を作る「灘」と滑らかで酸味の少ない口当たりが特徴の「伏見」は全国でも有数の産地と言えます。以下に伏見と灘の日本酒造りの歴史を紹介していきます。
伏見
伏見が日本屈指の酒どころとして隆盛するのは、豊臣秀吉が伏見城を築き政治の中心地となった16世紀末です。大名屋敷の建設や水運の整備に伴い人口が急増した伏見では、同時に酒の需要も高まっていきます。もともとカルシウムやマグネシウムを適度に含んだ良質な地下水に恵まれていたことに加え、交通の要衝として発展したことから米をはじめとする日本酒の原料を運搬する仕組みも整えられました。
そして、江戸時代初期の1635(寛永12)年に参勤交代が制度化され西国大名の逗留地となると、安定的な需要に裏打ちされた伏見の酒は確固たる地位を築くようになります。しかし、江戸時代の中期以降、有力公家の近衛家が伊丹の酒を保護したこと、需要の増えた江戸への出荷は海に近い灘が有利だったこと、米価を安定させるために幕府から酒造りを制限されたことなどが重なり、伏見の酒造業はしだいに衰退していきます。
そして、幕末に勃発した「鳥羽伏見の戦い」により伏見の酒造りは決定的な打撃を受けますが、社会が安定化した明治時代以降は次第に復活し、現代でも「月桂冠」や「宝酒造」をはじめとする歴史ある酒造メーカーが日本酒を生産し続けています。
灘
灘が日本屈指の酒の生産地となったのは、江戸時代前期寛永年間(1624年~1645年)に伊丹からの移住者によって本格的な酒造りが持ち込まれてからです。六甲山系のミネラル豊富な水は酵母の発酵に適していたため辛口で酸味のある日本酒を生産できたことに加え、冬場に六甲山系から吹き寄せる「六甲おろし」によって、蒸米を短時間で冷やせるといった地理的な利点を持っていました。
そして、海上輸送が発達すると港に近い灘からは大量の酒が輸送され、特に関東へ運ばれた下り酒は「灘の生一本(きいっぽん)」としてブランド化されます。江戸時代後期に江戸で消費された日本酒のうち、約8割が灘産だったと考えられるほど圧倒的な人気を誇っていました。
近代になってからも、大正12年に酒米の王様と呼ばれる「山田錦」が開発されるなど、灘は常に日本屈指の日本酒の産地として繁栄しています。高い精米歩合にも耐えられる粒の大きさに加え、麹菌が入り込みやすい吸水性に優れた山田錦は、酒造りに非常に適したお米です。
おわりに
日本酒の生産量が兵庫県と京都府に続く第3位の都道府県が新潟県です。新潟は酒蔵の数が日本で一番多く様々な銘柄がありますが、なかでも淡麗辛口と呼ばれるすっきりとした口当たりの日本酒がよく知られています。
コシヒカリの生産地として有名な新潟県は、酒米でも山田錦に次ぐ生産量第2位の「五百万石」という銘柄が栽培されています。新潟特有のクセが少ない淡麗な日本酒を造るために欠かせない酒米で、酒造りに適した美味しい水にも恵まれた土地となっています。
日本全国にいろいろな蔵元があるので、今回の記事をきっかけにいろいろ調べてみるのも面白いかもしれません。