【流鏑馬】古式に則ったふたつの流派!小笠原流に武田流のはじまりから特徴をご紹介
流鏑馬とは
流鏑馬とは走る馬の馬上から矢を放ち、的を射る日本の伝統的な競技です。
平安時代には宮廷行事として流鏑馬が行われていたため、儀式としての意味合いも強く現代に受け継がれています。
そもそも流鏑馬は、朝廷の警護にあたっていた「滝口(たきぐち)」、「随身(ずいじん)」などが射手となり、公家たちの前で技を競う催しとして行われていましたが、次第に武士たちの間でも嗜まれるようになりました。
武家としての流鏑馬のはじまりは『平治物語』に見える平清盛の伏見稲荷神社の流鏑馬であると言われていますが、これについては諸説があるようです。鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』には、鎌倉幕府誕生後、流鏑馬は武家の儀式として盛んに行なわれたことが記されています。
古都鎌倉の中心に鎮座する、鶴岡八幡宮は源氏ゆかりの由緒ある神社。ここで毎年9月に開催される『例大祭』では流鏑馬が披露され、たくさんの見物客で賑わいます。
小笠原流のはじまり
小笠原流の歴史は、1187年まで遡ります。鎌倉幕府を開いた征夷大将軍源頼朝の糾方(きゅうほう)<弓馬術礼法>の師範として招かれた小笠原長清(おがさわらながきよ)が、源氏の兵法と公家の礼法をまとめ、鎌倉幕府という新組織にふさわしい形式に仕上げたのが流鏑馬の始まりとされます。
吉野町以降一時衰微した流鏑馬でしたが、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の時代になるとかつての勢いを取り戻します。当時の小笠原流は第20世小笠原貞政の時代。貞政は奥勤めの武士たちに騎射技術を指導する「糾方師範」、また「騎射目代(きしゃもくだい)」という大役を任ぜられました。貞政は武士たちを調練しながら、小笠原家に代々伝わる書類を参照に新たな流鏑馬の家伝書を制定しました。
その後も小笠原家は長きに渡り徳川将軍家に仕え、旗本の調練にあたりました。明治時代を迎えてからは、小笠原流の流鏑馬は皇居は吹上の禁苑において祭儀として奉納されるなど、神事として披露されるようになりました。
小笠原家では礼法の継承は一子相伝、代々嫡子にのみ受け継がれるものとされ、現在は第31世宗家の小笠原清忠氏が850年もの歴史を持つ小笠原流弓馬術礼法を継承しています。
小笠原流の特徴
小笠原流の礼法は家伝の弓馬術の基本動作をまとめて武家社会の作法としたもので、礼法、歩射(弓術)、騎射(弓馬術)が一体となった全人格修養だとされています。
小笠原流は、実用的、能率的、合理的、民族的であることを「美」とし、その美しい動作ゆえに「行動の教養」と称されます。この合理的な小笠原流の作法は、姿勢を正したり、無駄のない立ち居振る舞いを心がけたりという日常生活の動作にも活かされます。
小笠原流の歩射は古流弓術とも呼ばれ、現存する体系的な武術・武道の中で最も古い流派の一つだと言われています。
そして弓馬術を表す騎射とは、「流鏑馬」、「笠懸(かさがけ)」、「犬追物(いぬおうもの)」に見られるような、馬上で弓を射る技を指します。
小笠原流の特徴は、射手の服装からも見て取れます。
小笠原流では「あげ装束」と呼ばれる鎌倉武士の狩装束を身にまといます。頭には立烏帽子(たてえぼし)に綾藺笠(あやいがさ)を被り、体には鎧直垂(よろいひたたれ)に射籠手(いごて)を着け、足には夏鹿毛の行騰(むかばき)という出で立ち。そして太刀を佩き、背には箙(えびら)を負い弓矢を持つという重武装で流鏑馬は行われます。
武田流のはじまり
武田流は、第56代天皇である清和天皇の皇子貞純親王(さだずみしんのう)が、朝廷の諸儀礼に通じていた源能有(みなもとのよしのり)から故実を伝授されたのが起源だといい、小笠原流と並んで流鏑馬の最古の流派の一つとされます。武田流は荒馬や迅走する馬を乗りこなすことを身上とするなど、実戦的な技術や気風を重んじます。
現在では明治神宮や上賀茂神社、そして鎌倉まつり(鶴岡八幡宮)などにおいて神事として流鏑馬や笠懸を奉納するほか、逗子海岸などで行われる地域のお祭りでも熟練の技を披露して人々を魅了しています。
武田流の特徴
武田流は、式次第、射法・矢の本数、着用する笠の形状においてまで、小笠原流礼法とは一線を画します。
射手の服装についても小笠原流のそれとは異なり、古くから武士が狩猟の際にも着用していたとされる綾檜笠(あやひがさ)を被り、神事の流鏑馬の際には、その笠に鬼面を着用。さらには、鏃(やじり)のない神頭矢(じんどうや)を帯に挟み、引き出して用いるのが武田流とされます。
武田流では競射の的には、土器二枚を合わせて、中に五色の切り紙を入れて張り合わせた「土器三寸の的」を使用。命中すると土器が砕けて、まるで花吹雪が舞い散っているように、人々の目には映るそうです。
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まとめ
武士たちの嗜みごとであった流鏑馬と、それを今の時代にまで受け継いできた小笠原家と武田家についてお分りいただけたでしょうか。
現在でも生で流鏑馬を見る機会は数多くあります。
是非一度は近くで観覧してみたいですよね。