【十五夜】中秋の名月と十五夜の違いは? お月見のはじまりや風習をご紹介
十五夜とは
現行の暦は太陽暦といって太陽の公転を基にした暦ですが、導入されたのは明治時代のことです。
それまでは朔望月を1ヶ月とした太陰太陽暦という暦でした。
朔望月とは月の満ち欠けの周期のことで、新月から次の新月までの期間です。
この周期は平均して29.5日であり、周期の真ん中頃が満月となります。
そして十五夜とは、旧暦における15日の夜のことであり、この日は満月である場合が多いのです。ただし、月と地球の公転の関係で新月から満月までの日数は一定ではなく14日間~16日間とばらつきがあるため、いつも十五夜が満月とは限りません。
また、広義の意味では十五夜とは毎月の十五日のことになるのですが、狭義では旧暦の8月15日のことを指します。最近では、十五夜と言えば、もっぱら旧暦の8月15日のことを言います。
中秋の名月とは
十五夜と違い広義・狭義の意味はなく、中秋の名月は旧暦の8月15日を指します。
中秋とは字のごとく秋の真ん中のことです。太陰太陽暦の頃の秋は旧暦の7・8・9月のことでしたので、中秋とは旧暦の8月のことを言います。
なぜこのタイミングに月を愛でるかというと、その頃は一番月がきれいだからです。
この時期の月の美しさは、科学的にも証明されています。
実は月の軌道の関係で、季節ごとに月の高さは違うのですが、夏は月の位置が低く、地表の光で月がぼやけ、冬は月の位置が高く見えにくいのです。高さ的に丁度良いのは春と秋です。そして春と秋を比べると、花粉などが舞いやすい春に比べ秋は空気が澄み月が最も美しく見えることが分かります。
今でこそ科学的に月が最も美しいのは秋ということが分かりますが、昔の人は経験的に中秋の名月が一番美しいことを知っていました。
昔の人の観察眼には驚かされるばかりです。
月見のはじまり
お月見の歴史は古くその始まりは既に縄文時代にもあったようです。
縄文時代は万物に対して畏敬の念を抱いていました。月も例外ではなく縄文の時代の人々は月を神聖なものとして捉えていたようです。
月を愛でながらお酒を酌み交わし、詩などを詠みるようになったのは平安時代からだと言われています。
その習慣は、中国から伝わり、平安時代の優雅なお月見は貴族のみの遊びでした。徐々にお月見の習慣は庶民にも伝わり、江戸時代には十五夜の日にお供えをし、月を愛でるという現在のようなスタイルがほぼ完成しました。
また秋は作物が多く実り、五穀豊穣を願うには、かっこうの時期です。江戸時代の人々は、十五夜に月にお供えをし天や月に実りの多い年となるように願いました。
現代ではあまり月に五穀豊穣は願いませんが、昔からの風習が楽しみとして残り、今も秋になるとお月見をするのです。
月見の風習
お月見のお供え物と言えばススキとお団子です。
ススキには「邪気を祓う」意味と「神様の依り代」の意味があります。お月見に飾ったススキを玄関先に飾ると、その年は無病息災になるという言い伝えがあります。また、ススキをお供えすることで、月の神様がそちらに降臨すると考えられていました。
本来であれば、五穀豊穣を願うためのお供えはススキより稲穂の方が相応しいのですが、地域によっては稲穂が間に合わないためススキをお供えするようになり、それが一般化しました。
お団子についてですが、お供え物としてお団子が一般的になったのは江戸時代の頃です。
それまではその時期の収穫物(主に穀物)を月の神様にお供えしていました。また月に似ているということで里芋もよくお供えされていました。その里芋が徐々に同じく丸い形のお団子となっていき、今ではお団子が主流のお供え物となったのです。しかし、現在でも里芋をお供えする地域も残っています。
まとめ
月を神聖視し、愛でる習慣を昔の人が持ったおかげで現在もお月見を楽しめます。
お月見の歴史やお供え物の意味を知ると、よりお月見に風情を感じるのではないでしょうか。
2022年の中秋の名月は、9月10日です。
風情を感じ、お月見を楽しんでみてください。
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