【古墳】古墳はなぜ造られた?様々ある古墳の形や種類の違いを解説!
古墳とは
日本には全国に16万基を超える古墳があると言われていて、特に兵庫県、鳥取県、京都府、千葉県、岡山県などに多くみられます。
古墳と一口に言いますが、いったい古墳とは何でしょうか。
大きな墳墓がすべて古墳なのかというと、実はそうではありません。古墳とは3世紀中頃から7世紀にかけての「古墳時代」「飛鳥時代」に造られた、土盛りや石積みでできた墳丘をもつ墓のこと。その当時の権力者や貴族、豪族などが、亡くなった後も権力の大きさを誇示するために、このような大きな墳墓を造ったとされています。
また、古墳内には棺と一緒に装飾品や埴輪、鉄剣、土器などが収められていて、こういった副葬品からも、被葬者の権力や財力を伺うことができます。誰の陵墓であるのか特定されていない古墳も多く、年代・様式などからの推測による被葬者が誰なのかという論争も尽きません。
ところで、「古墳」と「天皇陵」の違いは何なのでしょうか。「陵 りょう/みささぎ」とは天皇の墓のことを指します。つまり3世紀から7世紀に造られた古墳のうちでも、被葬者が天皇または特定の皇后だと政府が治定したものが天皇陵と呼ばれているのです。
例えば、「推古天皇陵」は御陵名が「磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)」であり、考古学上の名称は「山田高塚古墳」となります。(古墳ではない天皇陵もあります)
古墳にも大きなものから小さなものまであり、形も様々です。どんなものがあるのか、代表的なものを紹介していきましょう。
前方後円墳
※イラストはイメージです
四角い形の「方墳」と丸い「円墳」を前後に組み合わせた鍵穴のような独特の形。
古墳と言ったときに真っ先に思い浮かべるものかもしれません。
被葬者が埋められた丸い墳丘部と、方形の前方部から構成されています。被葬者には大王や有力な首長などが多いことや、全長200メートルを超えるような巨大古墳が「前方後円墳」であることから、最も格式が高い形であると推測されます。
300年近くに渡って各地で築かれた前方後円墳は、時代や地方によって流行もあり、少しずつ形が違います。おおまかにいうと、墳丘を横から見たときに前方部が後円部より低いものは前期に築造されたもの、前方部と後円部の高さが同じくらいのものは中期から後期のもの、となります。
主な前方後円墳には「仁徳天皇陵(大仙陵)古墳」「応神天皇陵(誉田御廟山)古墳」「箸墓古墳」などがあります。
前方後方墳
※イラストはイメージです
四角い「方墳」と台形・長方形の「方墳」を前後に組み合わせた形状のものを「前方後方墳」といいます。
この「前方後方墳」のルーツの一つが「前方後方型周溝墓」だと言われています。これは近江地方や濃尾地方などで造られていたもので、方形の墓の周りを溝で囲んだものです。そのうち一辺だけ溝を造らずに外部からの通路としていたものが徐々に大きくなり、方形となっていったとされています。
また山陰地方では「四隅突出型墳丘墓」から発展して「前方後円墳」となっていったり、近畿地方では「前方後円墳」から変形していったり、と地域によって多様な成り立ちがあると思われます。
円墳
※イラストはイメージです
上から見ると丸い形のものを「円墳」といい、全古墳のうち九割を占める最もポピュラーな形の古墳です。
全国各地で見られます。構造が単純であるため、造営も簡単だったことが理由だといわれます。また古墳時代中期には、古墳が集中して造られる群集墳も多く現れ、多くが「円墳」だったことも、数が多い理由だと思われます。
主な「円墳」には色鮮やかな石室の壁画で有名な「高松塚古墳」等があります。
方墳
※イラストはイメージです
上から見ると四角い形のものが「方墳」です。
5世紀頃には、「陪塚」と呼ばれる巨大な大王墓に付随して築造された小さい古墳に「方墳」が多く見られました。しかし7世紀になると「前方後円墳」が造られなくなっていき、代わって大型の「方墳」も築造されるようになっていきます。
主な「方墳」には「用明天皇陵(春日向山)古墳」等があります。
帆立貝式古墳
※イラストはイメージです
「前方後円墳」に似た形をしていて、「前方後円墳」の変形とも言われます。ただ、「前方後円墳」よりも「方墳」の部分が極端に短いため、区別して「帆立貝式古墳(帆立貝形古墳)」と言われます。
宮崎県の西都原遺跡にある「男狭穂塚古墳」は日本最大の「帆立貝式古墳」として有名です。
八角墳
※イラストはイメージです
上から見ると八角形をした古墳。これまで発見されたものは十数基ほどしかありません。
しかもその大半が、天武・持統天皇合葬陵(野口王墓古墳)や文武天皇陵(中尾山古墳)など7世紀の天皇陵と治定されています。このことから八角墳は、前方後円墳が造られなくなり、それに代わって円墳や方墳が造営されたさらにのちに誕生したもの、と言われています。
また八角形という形は、その当時中国から渡ってきた「道教」の影響を受け「天下の八方を治める大王」の墓としてふさわしいということで採用されたのではないか、とされます。
双円墳
※イラストはイメージです
2つの「円墳」をつなぎ合わせた形のものですが、日本国内ではっきりと「双円墳」と確認されているのは、大阪府南河内郡河南町にある「金山古墳」1基のみの珍しい古墳です。
上円下方墳
※イラストはイメージです
四角い形の「方墳」の上に「円墳」を乗せたような形をした古墳。
「上円下方墳」と確認されたものはごくわずかしかありません。7世紀~8世紀にかけての古墳時代の終末期にみられる古墳です。
まとめ
古墳群といって多くの古墳がひしめいている地域もあります。
とりわけ世界遺産に登録された百舌鳥古市古墳群や、日本の王陵の谷とも称される大阪府太子町、九州最大の前方後円墳である「女狭穂塚古墳」を擁する宮崎県西都市の西都原古墳群、東国の首長の陵墓が残る埼玉県行田市の埼玉古墳群など、どれも一見の価値があります。古墳内部を公開していたり、発掘された土器や装飾品などを展示した資料館を併設していたりする場所もあるので、新たな発見もあるかもしれません。
そして実は意外と身近な場所、住宅地の中などにも古墳はあります。神社として祀られている古墳や史跡公園として整備されている古墳もあります。普通の丘だと思って気付かずに通り過ぎている場所が、古墳だったということも…。
古墳を知ることで現在は古代と地続きなのだ、と改めて実感できます。
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