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【禅宗】禅とは?禅宗は宗派ではなく総称!臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の違い

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禅とは

「禅」とはサンスクリットの「dhyāna(ディヤーナ)」を音写した漢語です。dhyāna(ディヤーナ)とは「禅定」とも言い、精神を一点に集中させる修行又はその状態を指します。

仏教の開祖であるお釈迦様がガンジス川の支流のネーランジャラー河(尼連禅河)のほとりにある菩提樹のもとで悟りを開いた時に行っていた修行が座禅でした。

座禅はインドの宗教・哲学の一般的な修行方法であり、仏教に限られるものでなく、「ヨーガ[yoga](インド特有の身心の鍛錬法)」の一種です。人生の苦悩の解決を目指して出家したお釈迦様も当時のインドの修行方法を実践されたのでした。

禅宗では、禅宗の思想を要約した「不立文字(ふりゅうもんじ)」「教外別伝(きょうげべつでん)」「直指人心(じきしにんしん)」「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」の四つの言葉があります。

経典の文字ではなく、心から心へと伝えられた悟りを学び、修行によって自らの心の本性を悟り、仏になる」という意味があり、文字で書かれた経典や学問ではなく、行を重んじる禅宗の気風をよく表した言葉だと言えます。


禅宗の歴史

禅宗はインド僧である達磨(ボーディダルマ)が中国に来たことにはじまります(西暦520年頃)。時は中国が南北朝に分かれていた時代、南朝の梁の武帝(502-549)のあつい帰依を受けました。

ある時、寺院の建立や僧団の保護など仏教の興隆に尽していた武帝は、達磨に「如何なる功徳がありますか?」と問いました。

武帝は仏教の興隆の為に力を尽くしている自分には、「大きな功徳がある」と言われるのを期待していたのでしょうが、達磨は「無功徳(功徳などない)」と答え、武帝はとても落胆したという話があります。

達磨が伝えた禅は「分かり易い見返りや現世利益を目指す宗教ではなく、心の中にある執着を離れる為の自己鍛錬の道」という教えで、面目躍如たるエピソードのひとつだと思います。

達磨を継いだのは慧可(487-593)という人です。
達磨に弟子入りするのに自らの腕を切り落として覚悟を示すというすさまじいエピソードが伝えられています。「慧可断臂(えかだんぴ)」として知られる逸話です。
この二祖・慧可(えか)から、三祖・僧璨(そうさん)、四祖・道信(どうしん)、五祖・弘忍(ぐにん/こうにん)と続きます。

五祖・弘忍(602-675)は、後継者を選ぶ為に弟子達に対して自らの境涯を示す詩を作るように命じます。
弟子の中でも最有力の後継者候補と目されていた弘忍門下筆頭の神秀(じんしゅう)(606-706)と、寺男として黙々と米つき作業をこなしていた恵能(えのう)(638-713)が詩を掲げました。

[神秀の詩]

身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)

時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ)

※「心は鏡のようなものであり、鏡に付いた塵を払うように常に心を清らかに保つべきである」という意味。

[恵能の詩]

菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提本樹無し 明鏡も亦台に非ず)

本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物 いずれの処にか塵埃を惹かん)

※「心も心に積もる塵も本来「空」なるものであり元々実体はないのである」という意味。

両者の詩を見て、弘忍は恵能の詩に一等高い境涯を認め、恵能を後継者に選びました。

神秀は身心や煩悩を実体的に捉えている所があるが、恵能の方はそれらの概念にすら執着しない「無一物」という徹底した「無執着」の境涯を示した所が評価されたのだと思います。

こうして恵能が禅の六祖となりました。

神秀の系統の禅は中国大陸の北部で北宗禅として栄えましたが後に衰退し、今に伝わる日本の禅宗は全て恵能の南宗禅の系統とされています。


臨済宗

臨済宗は中国の唐の時代の臨済義玄(?-867)が開いた宗派で、本尊は釈迦如来などお寺や宗派によって異なります。

日本へは鎌倉時代に栄西が招来しました。

臨済宗の中にもたくさんの宗派、建仁寺派、建長寺派、円覚寺派、南禅寺派、大徳寺派などがあり、最大の宗派は妙心寺派で本山は京都にある妙心寺です。

五山十刹の制度

鎌倉時代や室町時代には五山十刹の制度(臨済宗のお寺を格式によってランク付けする制度)が作られ、臨済宗の諸寺は一種の文化センターの役割も持つようになり日本文化に多大な影響を及ぼしました。

文化の発展に寄与した人物としては五山の僧、一寧(いちねい)、虎関師錬(こかんしれん)、夢窓疎石(むそうそせき)、疎石門下の義堂周信(ぎどうしゅうしん)、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)がおり、義堂周信、絶海中津は文化の発展に寄与しました。また、虎関師錬は「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」という初の日本仏教史の書を書いて後世に大きな影響を与えています。

室町中期(8代将軍足利義政の時代)の東山文化にも禅の影響が色濃く見られ、書院造や茶の湯、能などはその代表と言えるでしょう。

公案(禅問答)

禅宗と言うと「座禅」というイメージが強いかと思いますが、臨済宗は座禅だけでなく「公案」という修行をも重んじる所が特徴です。「公案」とは昔の中国の言葉で「役所の文書」という意味があり、そこから転じて禅で悟りに導く為に師が弟子に与える問題やそれによる問答を指すようになりました。

師が弟子に公案という問題を与え、弟子はそれについて徹底して考え抜くのです。俗に言う「禅問答」です。

「禅問答」と言うと「訳の分からない問答」というイメージがありますが、何故、あのような問答を行うのでしょうか。

仏教では古来より人間の迷いや煩悩の根源には、言葉による思考つまり「分別」があると考えられてきました。人は固定概念にとらわれることから執着心が生じ、それが苦悩を生み出すと考えるのです。言葉へのとらわれや固定概念を超えようとした修行方法と言えるのではないでしょうか。


曹洞宗

南宗禅の系譜から出た洞山良价(807-869)とその弟子である曹山本寂(840-901)の名前を合わせて「曹洞宗」となったと言われています。

日本では道元(1200-1253)が開祖です。本尊は釈迦如来で、大本山は永平寺(福井県)と總持寺(神奈川県)です。

道元

道元の父は朝廷の重臣だった村上源氏久我流の源通親とされています。早くに父母を亡くした道元は、比叡山に登り出家します。比叡山で修行の日々を送る道元はある疑問を抱くようになります。

当時の天台宗では「天台本覚論」という思想が大きな影響力を持っており、簡単に言うと「人は本来、仏である」という思想です。この教義に対して「人が元々仏なら何故修行する必要があるのか?」という疑問を持ちます。

この疑問を抱えたまま比叡山を離れ、建仁寺にて宋から臨済禅を持ち帰った栄西の弟子の明全に師事します。ここで禅に対して「自分の疑問を晴らす事が出来るのでは」という手応えを感じたのか、道元は本格的に禅を学ぶ為に宋に渡り、天童山に登り天童如浄に入門します。(道元24歳)

身心脱落

ある日如浄の「身心脱落」という言葉を聞き、忽然として大悟したとされます。(諸説あり) ※「身心脱落」身心への執着を離れ、一切を放下する(一切の執着を離れ自由な境涯に至る)

「身心脱落」は身心を「空」と見て身心に対する執着を離れたという程の意味になります。もし「身心脱落」が道元独自の表現だとすると、この言葉は哲学的には一層深い思想を示していると言えるのではないでしょうか。道元の主著「正法眼蔵」は哲学書としても非常に高く評価されています。

教義

曹洞宗の教義としては「只管打坐(しかんたざ)」「修証一等(しゅしょういっとう)」ということが言われます。

座禅を「悟りを開く為の手段」と捉えるのではなく、「只管(ひたすら)座る」ことが重んじられるのです。

「修」は修行、「証」は悟りを意味し、修行と悟りは不可分一体だというのです。

公案を重んじ時には棒や喝を用いる活殺自在のイメージが強い臨済宗に対して、静かで質実な修行を重んじるのが曹洞宗の宗風と言えるでしょう。臨済宗を「看話(かんな)禅」と呼ぶのに対して、曹洞宗は「黙照(もくしょう)禅」と言われます。


黄檗宗

江戸時代・1654(承応3)年に明の僧侶・隠元隆琦(1592-1673)が来日し、当時の中国の臨済禅を伝えました。

隠元がもたらした中国禅は当時の日本の仏教界に新風を巻き起こし、後に「黄檗宗」と名付けられました(1876(明治9)年)。黄檗宗は元々中国の臨済宗の系譜を引く宗派ということになり、江戸末期までは「臨済正宗」と名乗っていたそうです。

黄檗宗の本尊は釈迦如来で、大本山は京都にある萬福寺です。

ちなみに、インゲン豆は隠元が来日の際に持ち込んだため、その名がついたとも言われています。

中国様式

黄檗宗の特徴は、何といっても明代の中国様式を踏襲している事です。

お寺の伽藍も中国様式であり、江戸時代の日本では新鮮に受け止められていたようです。当時は幕府の文教政策により儒学の学習が盛んであり、中国文化への関心が高かった時代だったのも要員のひとつです。

中国風の黄檗宗は好意的に受け止められ、隠元は諸大名などから篤い帰依を受け、後水尾天皇から「大光普照国師」という国師号を賜ったとのことです。

念仏禅

もう一つの特徴は禅宗の座禅と浄土教の念仏を組み合わせた念仏禅です。

禅宗は自力宗、念仏を唱える浄土教は他力宗とされますが、当時の中国では禅と念仏を併修することが広く行われていたようです。

禅も念仏も元々は同じ仏教であり、仏教とは「物事は因縁(原因と条件)によって成り立つ」とする「縁起」の理を説くものなので、究極的には自力も他力もないとも言えると思います。そう考えると、禅と念仏の併修は別に不自然なことではないと言えるでしょう。

日本でも江戸時代初期に活躍した鈴木正三(1579-1655)という禅僧が禅と念仏を勧めています。


まとめ

日本文化に大きな影響を与えてきた「禅」。

禅が目指すのは一言で言うと「とらわれない心」を作るということではないでしょうか。

日本文化をより深く学ぶためにその根底にあるものの一つとして、禅の心について探求してみられるのもいいかもしれませんね。


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大島太郎

大島太郎

学生時代より、日本の歴史、伝統的な思想や文化に関心を持ち、探求を続けています。

「グローバル化」が叫ばれる昨今、日本人としての固有性、日本独自の文化とは何なのかという問題意識を持っています。

形に表れた文化だけでなく、その根底にある「心(和の心)」あるいは「道」というものにも一層の関心があります(日本文化には茶道・華道・剣道・柔道など「道」が付くものが多いです)。

日本文化を発信していくお手伝いが出来ればと思っています。

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