【デジタル法隆寺宝物館】デジタル技術が可能にする古代美術のあらたな鑑賞体験! 国宝「聖徳太子絵伝」「法隆寺金堂壁画」[東京国立博物館 法隆寺宝物館]
この記事の目次
「デジタル法隆寺宝物館」みどころ
[2023年1月31日~2023年7月30日]
みどころ[1]
70インチ8Kモニターでくわしくみる国宝
~鑑賞者の操作で絵画の魅力をじっくり鑑賞~
およそ千年前に描かれた国宝「聖徳太子絵伝」の高精細画像を、大型8Kモニターで鑑賞するデジタルコンテンツ<8Kで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」>を体験できます。本デジタルコンテンツでは、原品ではよくみえない聖徳太子の表情までもが8Kモニターに映し出されます。また、聖徳太子の生涯にわたる50以上もの事績から、みたい場面を選んで解説とともに鑑賞するなど、国宝「聖徳太子絵伝」の魅力を8K画質で自在にくわしく楽しめます。
11歳、雲のように空に浮かぶ(第1面)/国宝「聖徳太子絵伝」(部分)/東京国立博物館蔵
みどころ[2]
臨場感あふれる原寸大グラフィックパネル
~絵画の大きさや配置された空間そのものを体感~
かつて奈良・法隆寺の絵殿という建物の内側を飾っていた国宝「聖徳太子絵伝」は、1面およそ縦1.9m×横1.5mの画面を横に並べた計10面からなる大画面絵画です。その原寸大グラフィックパネル(複製)を、法隆寺の絵殿にあったときと同じコの字型の配置に展示しています。国宝「聖徳太子絵伝」にあらわされた雄大な景観と、聖徳太子の生涯を追体験するかのような空間そのものを体感することができます。
みどころ[3]
よみがえる古代芸能の色とかたち
~伎楽でもちいられた仮面や装束の本来の姿を再現~
飛鳥時代に大陸から伝来した伎楽は、今日では資料より役名を伝えるのみとなった幻の芸能です。現存する伎楽面のほとんどが奈良時代の作であるのに対し、法隆寺献納宝物(東京国立博物館蔵)の伎楽面には、それより古い飛鳥時代の作が含まれています。東京国立博物館と文化財活用センターは、現存する資料から色やかたちについての検討を重ね、本来の姿を再現した伎楽面と伎楽装束を製作しました。
8Kで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」
8Kで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」操作画面
国宝「聖徳太子絵伝」は、かつて法隆寺の絵殿を飾っていた大画面の障子絵です。平安時代・1069(延久元)年、絵師・秦致貞(はたのちてい)によって描かれました。10面からなる横長の大画面に、聖徳太子の生涯にわたる50以上もの事績が散りばめられています。数ある聖徳太子絵伝のなかでもっとも古く、初期やまと絵の代表作にあげられます。しかし、長い年月を経て画面のいたみがひどく、肉眼で細部まで鑑賞することはかないません。
デジタルコンテンツ<8Kで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」>は、本作品の高精細画像を、大型8Kモニターに映し出すアプリケーションです。1面およそ縦1.9m×横1.5mの本作品を、計28区画に分割して撮影し、画像をつなぎ合わせて1面で18億画素の画像データを作成しました。鑑賞者自身の操作により、2面で36億画素という画像データがリアルタイムに処理され、70インチ8Kモニターに表示されます。
国宝「聖徳太子絵伝」のみたい部分を大きく拡大すると、聖徳太子の表情までくわしく確認することができます。聖徳太子の生涯のエピソードから場面を選び、その場面の解説もお楽しみいただけます。およそ千年前に描かれた国宝の絵伝と聖徳太子の魅力を、8K画質でじっくりとご堪能ください。
*デジタルコンテンツ制作 : 文化財活用センター、NHKエデュケーショナル
27歳、黒駒に乗って東国にあそび富士山に登る(第3面)/国宝「聖徳太子絵伝」(部分)/東京国立博物館蔵
12歳、百済の賢者、日羅と会う(第10面)/国宝「聖徳太子絵伝」(部分)/東京国立博物館蔵
国宝「聖徳太子絵伝」
聖徳太子(574-622)は用明天皇の第二皇子で、飛鳥時代、推古天皇のもと仏教の興隆や遣隋使の派遣、十七条憲法の制定などに力をつくしました。伝記にあたる『聖徳太子伝暦』が10世紀に成立したのち、その生涯を絵画化した絵伝が数多く作られました。なかでもこの作品は、現存最古のもっとも優れた聖徳太子絵伝であり、11世紀やまと絵の説話画としても貴重です。かつて法隆寺絵殿の内側を囲った全10面の大画面には、法隆寺のある斑鳩の地を中心に、飛鳥や難波(現在の大阪府)、さらに中国・衡山までを見渡す雄大な景観が描かれ、聖徳太子の生涯を追体験するかのような空間を作り出します。
伎楽面と伎楽装束
伎楽は、飛鳥時代に大陸から伝来した、野外で行なう仮面芸能です。国宝「聖徳太子絵伝」(第5面)には、612年、推古天皇20年、百済から帰化した味摩之(みまし)という楽人が、呉(くれ/現在の中国)に学んだ伎楽舞を習得していると聞き、聖徳太子は少年を集めて習わせたという場面が描かれています。伎楽は平安時代には廃れ、今日では資料や仮面の銘などにより役名を伝えるのみです。
伎楽面は、法隆寺献納宝物(東京国立博物館蔵)の31面のほか、正倉院や東大寺に伝わります。現存するほとんどが奈良時代の作ですが、法隆寺伝来の伎楽面には、飛鳥時代の作が含まれることが特徴です。
東京国立博物館と文化財活用センターは、2019年に伎楽面〈呉女〉と〈迦楼羅〉を、2021年に伎楽装束〈裳(も)〉と〈袍(ほう)〉の復元模造を製作しました。現存する資料から、色やかたちについて検討を重ね、本来の姿を再現しました。
41歳、百済国の味摩之、伎楽を伝え、これを童子に習わせる(第5面)/国宝「聖徳太子絵伝」(部分)/東京国立博物館蔵
重要文化財「伎楽面 呉女・迦楼羅」
31面のうち、伎楽で唯一の女性面である〈呉女(ごじょ)〉と、インドの霊鳥である〈迦楼羅(かるら)〉の復元模造です。X線CT撮影や赤外線撮影など多角的な調査を行ない、材質や技法、彩色仕上げを原品に忠実に再現しました。
【左】伎楽面 呉女(原品)【右】伎楽面 呉女(復元模造)
伎楽装束 裳残欠・袍残欠
現在は残欠として伝えられる伎楽装束ですが、原品の解体修理と並行して復元模造を製作しました。修理時の知見を活かし、古代の染織技法を再現したことで、製作当時の華やかな彩りがよみがえりました。
「法隆寺金堂壁画」写真ガラス原板
【2023年8月1日(火)~2024年1月28日(日)】
「法隆寺金堂壁画」写真ガラス原板デジタルビューア
7世紀後半から8世紀はじめに制作されたとみられる「法隆寺金堂壁画」は、かつて法隆寺金堂の内壁(外陣)にあった大画面壁画です。1949(昭和24)年1月26日、火災により焼損しました。「法隆寺金堂壁画」写真ガラス原板は、美術印刷会社便利堂によって1935(昭和10)年に撮影されたもので、焼損前の金堂壁画の姿を今に伝えます。
デジタルコンテンツ<「法隆寺金堂壁画」写真ガラス原板デジタルビューア>は、363枚ある写真ガラス原板から、専用の高精細スキャナー(1500dpi)で取得した高精細画像を、大型8Kモニターに映します。この高精細画像は、写真ガラス原板1枚を5分割して読み込み、撮影時のレンズの歪みや現像時に生じた濃淡の差などを補正し、複数の画像データを接合したものです。壁画1枚の画像は、大壁で300億画素、小壁で170億画素を超えます。
2020年、<「法隆寺金堂壁画」写真ガラス原板デジタルビューア>はオンライン上で公開され、PCやスマートフォンで閲覧可能です。本会場ではそれを70インチの8Kモニターで鑑賞いただきます。仏教美術の至宝と称えられた法隆寺金堂壁画、その線描の美しさを大画面モニターでお楽しみください。
*デジタルコンテンツ制作 : 法隆寺、奈良国立博物館、国立情報学研究所高野研究室
*デジタルコンテンツ制作協力 : 文化財活用センター、便利堂
第二号壁 菩薩像/「法隆寺金堂壁画」(部分)
重要文化財「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板」
大壁4面の四方四仏と、小壁8面に描かれた菩薩の計12面からなる「法隆寺金堂壁画」は、焼損以前より高く評価されていました。当時古社寺保存会長であり帝国博物館(のちの東京国立博物館)初代総長をつとめた九鬼隆一は、1920(大正9)年刊行の『法隆寺壁画保存方法調査報告書』で、次のように述べています。
「法隆寺金堂ノ壁画ハ現今世界ニ知ラレタル東洋各国壁画中最モ優秀ナル者タルコトハ一般ニ認メラル所(以下略)」
法隆寺の「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板」は、便利堂が所有する写真原板(同時に撮影された四色分解写真、赤外線写真など83枚)とともに2015(平成27)年、重要文化財に指定されました。その翌年から5年をかけてクリーニング等の修理がおこなわれたのち、デジタルデータ化が進められました。
第六号壁 阿弥陀浄土図/「法隆寺金堂壁画」(部分)
「法隆寺金堂壁画」写真ガラス原板デジタルビューア 操作画面
ぶんかつYouTubeチャンネル
ぶんかつ【文化財活用センター】YouTubeチャンネルで関連動画を公開!
https://www.youtube.com/@cpcpnich/playlists
▼法隆寺 ―よみがえる古代の至宝1
▼国宝 聖徳太子絵伝 ―よみがえる古代の至宝2
▼法隆寺金堂壁画 ―よみがえる古代の至宝3
▼伎楽と法隆寺宝物館 ―よみがえる古代の至宝4