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【歌舞伎系図】二人の人間国宝が現役で活躍する、上方の名門松嶋屋!はじまりから歴代、当代名跡の歌舞伎役者

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松嶋屋のはじまり

松嶋屋は、上方歌舞伎界において悠久の歴史を持つ片岡仁左衛門家の屋号です。

初代仁左衛門は元禄期に敵役の名優として活躍したといわれますが、松嶋屋の屋号を用いていたかは定かでありません。仁左衛門が松嶋屋を名乗るようになったのは七代目以降で、初代、二代目の屋号は不詳、三代名から五代目までの屋号は土佐屋、六代目は富枡屋(とみますや)を名乗ったとされます。

松嶋屋という屋号は多くの歌舞伎界役者の屋号とは異なり、その由来は不詳と記されています。


片岡仁左衛門

初代 片岡仁左衛門

[生年1656年/没年1715年]

容姿端麗で、和事や実事、さらには所作事と、幅広い役柄を見事に演じ分けられる役者だったとされ、江戸の森田座で若手の立役として活躍したことで名声を得ました。

『先代萩(せんだいはぎ)』の頼兼(よりかね)、『封印切(ふういんきり)』の忠兵衛(ちゅうべえ)、『寺子屋(てらこや)』の源蔵(げんぞう)などが当り役といわれました。


二代目 片岡仁左衛門

[生没年不詳]

二代目仁左衛門は、片岡三平から初代片岡長太夫(かたおかちょうだゆう)を経て、仁左衛門の名跡を襲名したとされます。

初代仁左衛門の実子とされますが、屋号、生没年などは知られておらず、早世したという知見のみが多くの資料に記されています。


三代目 片岡仁左衛門

[生没年不詳]

初代仁左衛門の妹婿もしくは義弟だったと言われる三代目仁左衛門は、江戸時代前期から中期にかけて、京を中心に活躍していた初代藤川武左衛門(ふじかわぶざえもん)の門人だった藤川繁右衛門(ふじかわしげえもん)だといわれています。

仁左衛門の名跡を預かっていたものとして、後にこれを三代目にあてたとされます。


四代目 片岡仁左衛門

[生年不詳/没年1758年]

四代目仁左衛門は、三代目の養子だった二代目藤川半三郎(ふじかわはんざぶろう)が襲名したとされますが、四代目についてもまた、あまり多くのことは伝わっていません。

四代目は一度歌舞伎界を離れて、藤川茶谷(ふじかわさこく)の名で狂言作者として活躍しましたが、1755年には歌舞伎の舞台に復帰したとされます。しかし復帰後の名乗りなどはわかっていません。養父である三代目仁左衛門の実子は茶谷の門弟となり、狂言作者藤川三八(ふじかわさんぱち)として大成しました。


五代目 片岡仁左衛門

[生没年不詳]

五代目仁左衛門については、四代目の養子だった三代目藤川半三郎が「仁左衛門」の名跡を預っていたという以外は、何も後世には伝わっていません。


六代目 片岡仁左衛門

[生年1731年/没年1789年]

六代目についても、あまり多くの情報は残されておらず、五代目とどのような関係であったのかさえわかっていません。

江戸時代中期に若女方として活躍した三保木七太郎(みほきしちたろう)の門弟だった、二代目三保木儀左衛門(みほきぎざえもん)が「仁左衛門」の名跡を預っていたものだとされています。


七代目 片岡仁左衛門

[生年1755年/没年1837年]

二代目仁左衛門が早世してから、100年以上もの長きに渡り事実上絶えていた「仁左衛門」の名跡を再興し、襲名したのが七代目仁左衛門です。

敵役を演じた江戸中期の歌舞伎役者、初代淺尾國五郎(あさおくにごろう)の実弟とされ、武道事を得意とした二代目中村十蔵(なかむらじゅうぞう)の門弟として、そしてその後は幅広い役をこなして名優と呼ばれた初代淺尾爲十郎(あさおためじゅうろう)の門弟として、芸を磨いたとされます。


八代目 片岡仁左衛門

[生年1810年/没年1863年]

八代目仁左衛門は、美貌の立役で大阪、京都、江戸の三都で活躍したとされます。

七代目市川團十郎の門人として歌舞伎界に入門し、後に七代目團十郎の養子として六代目市川新之助を名乗りました。しかし二人の間に不和が生じて離縁すると、当時時代物や世話物での演技が高く評価されていた二代目嵐璃寛(あらしりかん)の下で学びました。その後に七代目仁左衛門の門人に、さらにはその養子になって大名跡を継ぎました。


九代目 片岡仁左衛門

[生年1839年/没年1972年]

三十代半ばで早世した九代目仁左衛門は、三都随一の大立者と評された四代目三桝大五郎(みますだいごろう)の門弟として歌舞伎の世界に身を投じました。その後、当時は二代目片岡我童(かたおかがどう)を名乗っていた八代目仁左衛門の門弟となり、後には養子になったとされます。

死後36年を経た1907年に十一代目仁左衛門によって「九代目」を追贈されました。


十代目 片岡仁左衛門

[生年1851年/没年1895年]

八代目仁左衛門の三男で、彼もまた44歳という若さで逝去しました。

父の下で歌舞伎を学び、三代目片岡我童襲名後は片岡家の芸風を受け継いで立役、敵役、女形をこなして人気を博しました。しかし1895年正月、大坂弁天座で行なわれた自らの九代目仁左衛門襲名興行で、同座した初代市川右團次(いちかわうだんじ)との間で一悶着が起こり、記念すべき舞台を台なしにしてしまったとされます。このことが原因で精神に変調をきたして同年4月に帰らぬ人となりました。

1907年の九代目追贈により十代目仁左衛門となりました。


十一代目 片岡仁左衛門

[生年1858年/没年1934年]

八代目仁左衛門の四男で、松嶋屋のお家芸「片岡十二集」を撰ずるなど、松嶋屋の発展に多大な貢献をしました。

明治初期には三代目片岡我當(かたおかがとう)を名乗って初代中村鴈治郎(なかむらがんじろう)と人気を二分する関西の花形スターとして活躍。1907年に東京に舞台を移して仁左衛門を襲名、以後は義太夫歌舞伎、新歌舞伎、和事狂言など多彩な分野で数々の当たり役を残しました。


十ニ代目 片岡仁左衛門

[生年1882年/没年1946年]

八代目仁左衛門の娘の実子で、十代目の養子として歌舞伎界に入門しました。立役と女形の双方を務め、特に立役での豪胆な芸風は高く評価されました。

多くの人々が戦後間もない食糧難に喘いでいた1946年、松嶋屋を悲劇が襲いました。喰い扶持の少ないことを恨んだ住み込みの門人が十二代目仁左衛門を殺害。十二代目の妻と当時2歳だった四男、そして二人の御手伝も襲撃にあい帰らぬ人となりました。


十三代目 片岡仁左衛門

[生年1903年/没年1994年]

東京生まれで実父は安田財閥の二代目総帥の安田善三。

十一代目仁左衛門の養子となり、1924年に四代目片岡我當を襲名すると、当時硬派な芸風で人気だった七代目市川中車(いちかわちゅうしゃ)をはじめとする先輩方から積極的に芸を学んだとされます。1932年に青年歌舞伎を立ち上げて座頭を務めた後、上方歌舞伎へ移籍。1951年に亡父の後継者として十三代目仁左衛門を襲名しました。

60年代に入ると、上方歌舞伎は著しく衰退してしまい、この事態を重く見た十三代目は私財を投じて「仁左衛門歌舞伎」を立ち上げ、上方歌舞伎の活性化に尽力しました。1972年に人間国宝に認定されて以降も、十三代目の芸は深化を続け、その名演技には大向うから「松嶋屋天神!」の掛声がかかるほどだったといいます。

緑内障を患い視力を失っても尚、舞台に立ち続けた十三代目は90歳で他界するまで現役を貫きました。


十四代目 片岡仁左衛門

[生年1910年/没年1993年]

歴代仁左衛門では唯一の真女形で、古風な芸風で知られていました。

十二代目仁左衛門の長男として「仁左衛門」の継嗣となるべき役者でしたが、女形であったことなどの理由から生前に仁左衛門を襲名することはなく、死後に十四代目を追贈されました。

82歳まで舞台に立ち続けた十四代目の妖艶な姿は、年を重ねても衰えることはありませんでした。


当代名跡

十五代目 片岡仁左衛門

[生年月日:1944年3月14日生]

長男の継承が多い歌舞伎界において、長男以外の子息が大名跡を襲名するのは異例中の異例。十五代目仁左衛門は十三代目仁左衛門の三男ながらも、その幅広い芸域と確固たる人気が高く評価され、1998年に十五代目片岡仁左衛門を襲名しました。

1949年に大阪の中座で初舞台を踏んで以降、仁左衛門襲名までのおよそ半世紀にも及ぶ期間を本名の片岡孝夫の名で舞台に立ち続け、歌舞伎のみならずテレビドラマや映画、そしてCMにも出演するなどして、その名は広く全国に知れ渡りました。

1964年に父が旗揚げした「仁左衛門歌舞伎」で演じた『女殺油地獄』の与兵衛が「大阪に孝夫あり」と言われるほどの出生芸となりました。

1967年に関西歌舞伎の不振により東京へ移住してからも、上方時代と変わらぬ爽やかな芸風で歌舞伎ファンを魅了し続け、現代の歌舞伎を代表する人気歌舞伎役者として君臨し、2015年には人間国宝に認定されました。


二代目 片岡秀太郎

[生年月日:1941年9月13日生]

十三代目仁左衛門の次男で、1956年に二代目片岡秀太郎を襲名しました。上方歌舞伎を代表する女形と称され、その色気のある美しさと艶のある演技には定評があります。

1950年代後半になって上方歌舞伎が徐々に衰退の兆しをみせはじめると、二代目秀太郎は父が私財を投じて催行した「仁左衛門歌舞伎」に参加し、そこで江戸歌舞伎の演目も演じたことで東西両方の芸を演じられる役者になったといわれます。

兄の五代目片岡我當、そして弟の十五代目仁左衛門が活躍の場を東京に移してからも、二代目秀太郎は大阪に残り、今なお上方歌舞伎を演じ続けています。

役者になって70年余の歳月が経った現在は、上方歌舞伎塾の講師として上方歌舞伎の人材育成にも尽力しています。また2019年には、女形を中心に重要な脇役を務め、上方歌舞伎の技芸を伝承したとして人間国宝に認定されました。


五代目 片岡我當

[生年月日:1935年1月7日生]

十三代目仁左衛門の長男で、1971年に五代目片岡我當を襲名しました。まっすぐな芸風と張りのある口跡で観客を魅了します。

弟たちと同様に「仁左衛門歌舞伎」に参加するなどして上方歌舞伎の復興に尽力し、その功績が認められて大阪府民劇場奨励賞を受賞しました。

十三代目仁左衛門は息子達が上方歌舞伎のみならず、もっと広く歌舞伎について学ぶことを切望していたといい、五代目我當は、父の勧めで二代目尾上松緑(おのえしょうろく)に師事して江戸歌舞伎を習得。その知識を生かして、現在では東西にまたがる芸域の広さを持つ役者として活躍しています。

立役や荒事、敵役、老役などを演じ、『封印切(ふういんきり)』の八右衛門や『夏祭』三婦などが当たり役です。また近年では『沼津』の平作のような老け役での渋味のある演技も高く評価されています。


六代目 片岡愛之助

[生年月日:1972年3月4日生]

社会現象にもなった2013年の大ヒットドラマ『半沢直樹』で、女性のような語り口調のエリート官僚・黒崎駿一役を演じて一躍時の人となった「ラブリン」こと六代目片岡愛之助。

歌舞伎とは無縁の一般家庭に生まれて、松竹芸能の子役オーディションに合格したことを機に芸能界入り。本名の片岡寛之を名乗ってテレビドラマに出演すると同時に、子役として歌舞伎の舞台にも出演しました。その子役としての演技と歌舞伎への関心の高さに言葉を呑んだという二代目秀太郎に誘われて、1981年に片岡一門の部屋子となり、片岡千代丸を襲名。1993年にはニ代目秀太郎の養子となり、六代目片岡愛之助を襲名しました。

歌舞伎役者としての六代目愛之助の実力が高く評価されたのは、2010年にけがで休演を余儀なくされた十一代目市川海老蔵(いちかわえびぞう)の代役に抜擢されたときのこと。『吉例顔見世興行(きちれいかおみせこうぎょう)』で、急遽成田屋のお家芸『外郎売(ういろううり)』の曽我五郎役を務めることになった六代目愛之助は、わずか3日間の稽古で見事に大役を果たし、その努力と役者としての素質を各界の著名人や歌舞伎ファンから絶賛されました。

そして『半沢直樹』放映後は、テレビドラマ、映画、舞台など俳優としても幅広く活躍し、高い人気を誇るエンターテイナーとして大活躍中です。


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まとめ

十五代目仁左衛門はじめ松嶋屋の門人達は、上方歌舞伎の再興と発展を心から祈り、尽力しています。

上方歌舞伎を継承する若手の発掘と指導にも積極的に取り組んでいるので、今後ますます才ある役者が、松嶋屋から、そして上方歌舞伎界から輩出されるにちがいありません。


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井筒屋

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