【歌舞伎公演】37年ぶり高麗屋三代襲名披露!「松本 」「市川 」を名乗るのはなぜ?
この記事の目次
なぜ「松本」と「市川」を名乗るの?
先にお伝えしたように、松本幸四郎家(高麗屋)と市川團十郎家とは、先代から強いつながりがあります。歌舞伎の大名跡である市川團十郎家にお世継ぎ無き場合に、松本幸四郎家から養子を迎えるといった関係があるそうです。また、市川團十郎家の門弟が松本幸四郎家を継ぐ場合もあります。
二代目 松本幸四郎(1711年〜1778年)は、三代目 市川團十郎の急死により、四代目 市川團十郎を襲名。三代目 松本幸四郎も五代目 市川團十郎となっています。
六代目 松本幸四郎(1811年〜1849年)の没後、名は一時途絶しましたが、九代目 市川團十郎の門弟から七代目 松本幸四郎が誕生しています。七代目 松本幸四郎の実子は、十一代目 市川團十郎となっています。
そのため松本幸四郎家(高麗屋)の名跡には、「松本」や「市川」の名字が使われています。
現在、松本幸四郎家では、松本金太郎→市川染五郎→松本幸四郎→松本白鸚の順で名乗っていきます。
松本白鸚
松本 白鸚/まつもと はくおう
八代目 松本幸四郎(1910年〜1982年)が、初代白鸚と名乗ったのが始まりです。父である七代目 松本幸四郎の俳号(俳句の作者としての名)から由来しているという話です。
松本幸四郎
松本 幸四郎/まつもと こうしろう
初代 松本幸四郎(1674年〜1730年)は、幼名「久松小四郎」から「松本幸四郎」に改名しています。
市川染五郎
市川 染五郎/いちかわ そめごろう
四代目 松本幸四郎(1737年〜1802年)が初代染五郎と名乗ったのが始まりで、松本幸四郎に先立って襲名する名跡です。
松本金太郎
松本 金太郎/まつもと きんたろう
七代目 松本幸四郎の長男で十一代目 市川團十郎(1909年〜1965年)が、初代松本金太郎と名乗っています。市川染五郎に先立って襲名する名跡です。
高麗屋とは
高麗屋三代襲名
松本幸四郎 改め「二代目松本白鸚」
本名:藤間 昭暁(ふじま てるあき)
生年月日:1942年8月19日
襲名歴:二代目 松本金太郎 → 六代目 市川染五郎 → 九代目 松本幸四郎
市川染五郎 改め「十代目松本幸四郎」
本名:藤間 照薫(ふじま てるまさ)
生年月日:1973年1月8日
襲名歴:三代目 松本金太郎 → 七代目 市川染五郎
松本金太郎 改め「八代目市川染五郎」
本名:藤間 齋(ふじま いつき)
生年月日:2005年3月27日
襲名歴:四代目 松本金太郎
まとめ
松本幸四郎家(高麗屋)と市川團十郎家は、養子縁組をおこなったり弟子により名跡を復活させるなど強いつながりがありましたね。
そのために松本・市川が使われていたんですね。
高麗屋三代襲名披露公演は、歌舞伎座で幕開けして各地にて公演が行われました。
更なる高麗屋の活躍が楽しみですね。をおこないます。
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