【食文化】関東と関西はなぜ違う? 歴史と風土から読み解く「だし」と「醤油」
関東と関西の範囲
「関東」「関西」という言葉は、時代や文脈によって範囲が変化してきました。
現代における一般的な解釈では、東京都を中心に、茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川の1都6県を関東と呼びます。この区分は、江戸幕府が箱根峠・小仏峠・碓氷峠に設けた関所より東側の「関八州」に由来しています。
一方で「関西」は行政上の正式区分ではなく、大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山・三重の2府5県を指す「近畿」とほぼ同じ意味で用いられることが多くなっています。もともと「近畿」は天皇の住む畿内周辺の地域を示し、「関西」は鈴鹿・不破・愛発(あらち)の三関より西側を指した歴史的な言葉です。
本稿では、関東=1都6県、関西=2府5県として扱います。
食文化の違いを生んだ背景
関東と関西の食文化の違いには、都市の成り立ちが深く関わっています。
関東:江戸の男性中心社会が育てた屋台文化
江戸が本格的な都市として発展したのは、徳川家康が幕府を開いた1603年以降です。当時の江戸は人口の多くを武士や職人などの男性が占め、短時間で腹を満たせるそば・すし・天ぷらなどの屋台が広く普及しました。また肉体労働者が多かったため、塩分やミネラルを補給できる濃い味付けが好まれたとされています。
関西:貴族文化と商人文化が育んだ洗練された食の世界
一方の関西は、古くから天皇や貴族が住まう文化圏であるとともに、大阪には商人が集まりました。見た目の美しさや季節感を大切にする料理が発達し、江戸時代には大阪が全国の産物を集める「天下の台所」として機能したことも、食文化の豊かさを支える要因となりました。
関東と関西の味付けの違い
かつおだしと昆布だし
和食の基本である「だし」は、地域によって好まれる素材が異なります。
関東:かつお節が主流
関西:昆布をベースに、かつお節や煮干しを合わせただしが主流
この違いには江戸時代の物流が関係しています。北海道産の昆布は北前船によって日本海側を経由し大阪へと運ばれたため、江戸では手に入りにくく、関西には良質な昆布が集まりやすい環境が整っていました。
さらに、水の硬度もだし文化に影響したとされます。
日本の水は全体として軟水ですが、地域差があり、関西は軟水、関東は相対的に硬度が高い地域が多いと言われています。カルシウムやマグネシウムを多く含む水は昆布のうま味が出にくいとされるため、関東では魚節だしが発達した要因の一つと考えられています。
濃口醤油と淡口醤油
醤油の使われ方にも地域差が見られます。
関東:濃口醤油(色が濃くうま味が強い)
関西:淡口醤油(色が薄く素材の色を生かす)
淡口醤油は兵庫県・龍野を中心に発達し、昆布だしの色や風味を損なわない調味料として広まりました。
一方、関東では動物性のうま味が強いかつおだしと相性がよい濃口醤油が好まれ、地域ごとの料理のスタイルと結びつきながら利用が定着していきました。
生臭さの少ない白身魚(鯛・ヒラメなど)をよく食べた関西で淡口醤油が選ばれたことも、普及の背景として語られています。
そばとうどん
関東と関西では、好まれる麺料理にも傾向の違いがあります。
関東:そばの消費量が多い傾向
関西:うどんの人気が高い傾向
小麦とそば、気候と農業の影響
西日本は温暖で日照時間も長く、小麦の栽培に向いていたため、冬に小麦を作る二毛作が広まり、うどん文化が発達しました。
一方のそばは、痩せた土地や冷涼な地域でも育つため、東日本・北日本の山間部を中心に栽培が盛んでした。昼夜の寒暖差が大きい地域ではデンプンがよく熟成し、上質なそばの実が得られることもそば文化を支えました。
つゆの濃さの違い
つゆの色の違いは、これまで紹介した「だし」と「醤油」の使い分けによるものです。
関東:かつおだし+濃口醤油→濃い色のつゆ
関西:昆布だし+淡口醤油→色の薄い上品なつゆ
おわりに
関東と関西の食文化の違いは、だしや醤油といった調味料から、好まれる料理、さらには調理方法に至るまで多岐にわたります。
調理法の代表的な違いとしてよく挙げられるのがうなぎのさばき方です。関東では背開きにし、蒸してから焼くのに対し、関西では腹開きにして蒸さずに直接焼きます。これも地域の歴史や価値観の違いが反映されたものです。
こうした味わいや調理法の違いは、長い歴史と地域の風土が育んだ文化の豊かさであり、今なお多くの人々に親しまれています。
