【豆腐】木綿と絹ごしの違い!製造方法や代表的料理から知る豆腐の魅力
豆腐の歴史
豆腐は中国起源の食べ物で、誕生した年代は定かではありませんが、遅くとも唐の時代(618~907年)の中頃には作られていました。
後世の書物には紀元前2世紀に淮南王(わいなんおう)の劉安(りゅうあん)という人物が創作したと記されていますが、真実性に乏しく実際に同時代の文献で豆腐について書かれているのは唐代になってからです。そのため、唐代に豆腐が誕生したと考えられ、日本へは遣唐使として中国に渡った僧や学者たちによってもたらされました。
当初、豆腐は寺院の精進料理に使われ、次第に貴族社会や武家社会にも伝わっていきました。室町時代末期にはかなり普及していたことが分かっていますが、当時の豆腐は高級料理であり、誰もが気軽に食べられるようなものではありませんでした。
一般的に豆腐が食べられるようになるのは江戸時代の中頃からで、1782(天明2)年に「豆腐百珍」という100種類の豆腐料理を紹介したレシピ本がベストセラーになっています。豆腐百珍には冷奴や田楽など現代でも食べられている料理も紹介され、江戸時代には豆腐料理がかなり完成されていたことが分かっています。
[わつなぎオススメ記事]
【精進料理】仏教の教えを「食」で感じよう。精進料理の基本とルール、禁止されている3つの食材
豆腐の製造方法
伝統的な豆腐の製造は、原材料の大豆を水にひたして柔らかくすることから始まります。その後、大豆をすりつぶしてクリーム状にし、適度な水を加えながら炊き上げ、布で濾して豆乳とオカラに分離します。豆腐を作るには豆乳のみを使用し、豆乳ににがりを加えて固めていきます。その後は、木綿豆腐と絹ごし豆腐で製造方法が若干異なります。
木綿豆腐
豆乳がある程度固まってきたら、少し崩しながら木綿を敷いた箱に流しこみ、上から圧力を加えて脱水していきます。
豆腐の表面に木綿の布目が付くことから木綿豆腐と呼ばれ、舌ざわりが少し荒いものの、崩れにくいという特徴があります。また、水分量が少なく製造過程で形を崩しているため、豆腐の隙間に味が染み込みやすくなっており、煮物やすき焼きなどの料理に適しています。
絹ごし豆腐
絹ごし豆腐は、にがりを加えた後、時間の経過で自然に固まるのを待って完成させます。
重しをのせたり、木綿の布で脱水したりしないため、キメが細かく滑らかな食感が特徴的です。冷奴やサラダなど生で食べるときや湯豆腐などツルンとした喉越しを楽しむ料理に良く使われます。
豆腐を使った代表的な料理
冷奴
冷やした豆腐の上に薬味をのせ、醤油をはじめとする調味料をかけて食べるシンプルな料理です。
冷奴という料理名の由来は、大名行列の先頭で槍を持っていた「槍持ち奴(やりもちやっこ)」が着用した半纏の模様に似ていたからだと考えられています。そのため、四角く切った冷たい豆腐のことを冷奴と言い、江戸時代に刊行された「豆腐百珍」にも人口に膾炙した料理として紹介されています。
湯豆腐
江戸時代から夏には冷奴、冬には湯奴(湯豆腐)が定番だったようで、「豆腐百珍」には湯の代わりに葛湯を使った料理として紹介されています。
現代でも定番の湯豆腐は、地下水が豊富で豆腐の製造に適した京都で誕生した料理です。もともと南禅寺の精進料理が起源だと考えられ、豆腐は貴重なタンパク源として古くから寺院で用いられてきました。
味噌田楽
豆腐をはじめ、こんにゃくや大根などを串にさして味噌を塗った料理を田楽と言います。
田楽という芸能で、白い袴を履き棒に乗る舞踊が、串に刺した豆腐の形に似ているため名付けられました。江戸時代に刊行された「豆腐百珍」で紹介されている豆腐料理のうち、30パーセント近くが田楽であることからも、昔から定番料理として認知されていたことが分かります。
おわりに
豆腐には、薄く切って油で揚げた「油揚げ」、つぶした豆腐にニンジン・こんにゃく・ゴボウなどを混ぜた「がんもどき」などの加工食品もあります。さらには、煮立てた豆乳の表面をすくった「湯葉」や豆乳を作る過程で産出される「おから」などの関連食品も存在します。
高タンパク質で栄養価に優れた豆腐は、古くから多くの料理に使用されており、日本の食卓を豊かにする食品として食べられ続けています。