【うどん】江戸時代には庶民の味として普及!歴史的な背景と個性豊かなご当地うどんの味を紹介
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うどんの歴史
うどんの起源は諸説あり、明確にいつ誕生したかは分かっていません。一般的には中国で原型が作られ日本で完成した料理だとされています。江戸時代には庶民の味として普及し、現在と同じような食べられ方になったと考えられています。
江戸時代にうどんが定着した理由として、原料となる小麦、そして出汁に使用するかつお節、昆布、醤油の生産量と輸送量の増加が大きく関係しています。稲作が終わる秋から春にかけて小麦を育てる「二毛作」が室町時代に全国的に普及し、さらに江戸時代になると小麦をすり潰す石臼も農家の必需品となります。これにより身近な食品として小麦粉が使われるようになり、うどんや天ぷら、和菓子などが普及するきっかけになります。
さらに、うどんの出汁に使用する昆布は、北前船によって北海道から大阪に輸送され、反対に高知や鹿児島で製造されたかつお節は江戸に運ばれます。また、関西では龍野(兵庫県)や湯浅(和歌山県)で醤油の量産化が進み、江戸時代中期以降には関東でも銚子(千葉県)や野田(千葉県)に代表される醤油の産地が確立されます。これらの条件が整ったことにより、江戸時代にうどんが庶民にまで普及することになります。
稲庭うどん
秋田県
江戸時代初期に製造が始まった稲庭うどんは、伝統的に手延べ製法で作られる乾麺がよく知られています。
「練り」「手綯い(てない)」「伸ばし」「干し」という四つの主な工程を経ており、特に縄を綯うように撚りを加えながら細く伸ばす手綯いは稲庭うどん独特の製法です。一般的なうどんよりも細く平たい形をしており、なめらかでとつるつるとした食感が特徴的です。
水沢うどん
群馬県
水沢うどんは、約400年前に水澤寺の参拝者向けに提供されたのが始まりだと言われています。やや太めでコシがあり、茹でると白い麺が少し透き通ったように見えるのが水沢うどんの特徴です。
一般的に冷たいざるうどんで提供されることが多く、醤油だれ以外にも胡麻ダレなどが使われるお店もたくさんあります。
伊勢うどん
三重県
伊勢うどんは江戸時代にお伊勢参りの参拝客に提供されたうどんで、極太の麺に黒いタレをかけて食べます。
参拝客に素早く提供するため、麺をあらかじめ釜に入れ長時間茹でられるように極太の麺になったと考えられています。また、長旅で疲れた参拝客の体を気遣い消化を良くするため、コシのない柔らかな麺になったという説もあります。
タレには東海地方特産のたまり醤油を使っており、黒っぽい見た目ながら甘みが強いのが特徴です。
讃岐うどん
香川県
温暖で降水量の少ない香川県は小麦の栽培に適しており、江戸時代からうどんの製造が盛んでした。瀬戸内海沿岸で出汁を取るための上質なイリコ(カタクチイワシの煮干し)が取れ、赤穂(あこう)や伯方(はかた)で塩の生産、小豆島(しょうどしま)で醤油の生産が盛んだったことも美味しいうどんが作れた要因です。
もちっとした食感と強いコシのある麺が特徴で、釜揚げの麺に卵と生醤油をかけた「釜玉うどん」、茹であがった麺に冷たい出汁と薬味をのせた「ぶっかけうどん」などが代表的な食べ方です。
博多うどん
福岡県
うどん伝来の地とも言われる博多のうどんは、伝統的にふわふわとしたコシの弱い麺が特徴です。
時間に厳しい博多商人のため、素早く提供できる茹で置きの麺が普及したと言われ、出汁はアゴ(トビウオ)、カタクチイワシ、かつお節、昆布から抽出され、淡口醤油を加えた透明感のある優しい味わいです。また、定番の具材に「ごぼう天」(ごぼうの天ぷら)や「丸天」(魚のすり身の揚げ物)があることも博多うどんの特徴です。
五島うどん
長崎県
長崎県の五島列島で食べられているうどんは、地理的に近い中国大陸の影響を受けて発展しました。五島列島特産の椿油を麺に塗り乾燥させることで、独特のコシを持った乾麺となります。
煮立った鍋から直接うどんをすくって食べる「地獄炊き」と呼ばれる食べ方も知られており、特産のトビウオ(アゴ)から抽出したつゆに、ねぎやしょうが、生卵などが薬味として使われます。
おわりに
うどんの定番メニューである「きつね」と「たぬき」にも地域差が存在します。一般的にきつねは油揚げが入ったうどんやそばで、たぬきは天かすが入ったうどんやそばです。しかし、大阪では、きつねは油揚げがのったうどん、たぬきは油揚げがのったそばを指し、天かすが入ったうどんはマイナーで「ハイカラうどん」や「天かすうどん」と呼ばれます。
また、京都では、きつねは刻んだ油揚げとネギが入っており、たぬきはきつねの具材にとろみをつけたものになります。同じメニューでも地域によって違いがあるのも、日本の食文化の奥深さと言えます。