【香道】伝統に生きる香り。香を聞く“聞香” 香を聞きあてる“組香” 源氏香の遊び方
香道とは
香道では “沈香” という限られた良品の香木(こうぼく)に熱を加え、内在する豊かな芳香を楽しみます。
しかしながら香木は、少しでも火加減が強いと煙が立ち上り弱いと発散しきることができません。沈香に秘められた妙香(みょうこう)を十分に味わうためには、火合いや灰のコンディションがもっとも重要であるといわれます。
奈良の東大寺正倉院には、“蘭奢侍(らんじゃたい)”といわれる香木が保管されています。
全長156センチ、重さ11.6キロの大きなもので、別名“東大寺”といわれる日本で最も有名な香木ですが、蘭奢侍という文字をよく見ると東大寺という語句が隠されているのがわかります。
銘香“蘭奢侍”は、時の権力の象徴として数々の逸話を作り出してきました。
正倉院の勅封(ちょくふう)とされていたこの香木には、足利義政・織田信長・明治天皇により裁断された跡が残されています。
信長は、宗及と利休に1包ずつ分け与えたといわれていますが、名古屋の徳川美術館にも同名の蘭奢侍が保存されていることから徳川家康も裁断したものと思われます。
またこの沈香を試香された明治天皇は、その香りを「ふるめきしずか」と表現されたのです。
香道の歴史
1192年源頼朝によって鎌倉幕府がひらかれ、雅な貴族社会から武士が台頭する時代へと移り変わっていきました。
力を失った朝廷貴族には、薫物を楽しむ余裕はなく、権力を把握した武士達が一木の香を焚きその幽玄な芳香に酔いしれたのです。
贅の限りを尽くしていく諸大名らは高価な香木や茶の産地を聞き当てる“闘香(とうこう”や“闘茶(とうちゃ)”などの賭け事に興じていきます。
なかでも近江の豪族で婆紗羅(ばさら)大名と呼ばれた佐々木道誉は大変な香好きだったといわれ、通常は数グラムほどを丁寧にくゆらせる沈香を、一度に100グラム以上も焚きしめるという花見の宴をひらき人々を驚愕させるのでした。
しかしながら、このような無軌道とも思える行動の裏には、今日・明日と命のあてのない時代に生きる無常観と、権力を我が物にしてしまった武将達の戸惑い、さらに貴族という階級に対するコンプレツクスが内在していたのでしょう。
そうした戦乱の時代に仏教界に「禅宗」という新たな教えが伝わり、権力闘争に明け暮れる武士達の心に特別な意味を持って受け入れられていきます。
室町幕府の八代将軍・足利義政は、佐々木道誉から受け継いだ膨大な香木177種を三条西実隆と志野宗信らに命じて体系化させることを思いつきます。
そうして完成した分類法「六国五味(りっこくごみ)」は、香木を産地と舌で感じる味覚の表現で選別するという画期的なものとなるのでした。
さらに義政は遊戯的な要素の濃かった香の世界に一定の作法を取り決め、日常を離れた集中と静寂の世界にひたる芸道「香道」へとひきあげていくのです。
こうして戦国の世に生みだされた日本独自の文化、「香道」は誕生したのです。
聞香
香道では、香りを嗅ぐではなく「聞く」と表現します。
香木の香りはとても繊細です。ゆっくりと鼻から吸い込み、心静かに身体全体で感じ取るようにして聞きましょう。
マッチ棒ほどに小さく裁断された香木は、線香のように直に火をともすとただ焦げ臭いだけでその芳香を観賞することはできません。
故に温めた灰の熱を利用して徐々に豊かな香りを引き出していくのです。
では次に香木の楽しみ方をご紹介しましょう。
1・「空薫き」
室内に香りをくゆらせること。
何処からともなく漂ってくる気品ある芳香は、なんとも奥床しく最高のもてなしといえるでしょう。
2・「一柱聞」
聞香炉といわれる小さな香炉で一種の香木を焚き、その持ち味をゆっくりと鑑賞します。
一片の香木から発せられる神秘的ともいえる芳香に静かに心を傾けていると、やがて精神が研ぎ澄まされていくのを感じることでしょう。
3・「組香」
2種類以上の香木を焚き、その香りを聞き当てる遊戯的要素をもった楽しみ方で、その多くは和歌や物語・季節の風物をもとに考え出されました。
文学的要素をもった知的な香木の楽しみ方です。
組香
組香とは、数種の香木を焚きしめて香りを聞きあてるゲームのようなもの。
それでは代表的な組香とされる「源氏香」をご紹介しましょう。
江戸時代に流行した組香「源氏香」は、紫式部の執筆した「源氏物語」になぞられた組香です。
源氏香の遊び方
源氏香とは、焚かれた5種類の香木を聞き、同じ香りははたしてどれであったかを推理する遊びです。
まず最初に、5種類の香木を5包ずつ計25包用意します。それらを混ぜ合わせてから任意に5包とりだし、順番に焚きながらそれぞれの香りを記憶していきます。
5包すべてを焚き終わったところで、どの香が同じであったかを推測し各人が答えを記録紙に記入し正解率を競います。
源氏香の答えの書き方は、まず縦に5本線をひき同じ香りであったと思うものの上部を横線で結ぶという方法で、完成したその図形を源氏香之図の巻名に当てはめ答えとされました。
「源氏香」の答えは組み合わせにより52通りにもおよびます。
源氏物語は54帖から成り立っていますので、最初の“桐壺の巻”と最後の “夢浮橋の巻”を除いた52帖の巻名を図式化した源氏香之図と呼ばれる図形に答えを当てはめるのです。
源氏香之図は、機能性を備えた美しいデザインで、古来より様々な調度品や着物などの意匠に用いられてきました。
是非、心惹かれるお姫様や四季あふれる物語の内容などから、お気に入りの巻の香之図(こうのず)を覚えておかれると楽しいでしょう。
香木の微妙な香りを聞き当てることは大変に難しいものですが、繰り返し聞くことで次第にそれぞれの特徴を見極めることができるようになるのです。
流派
香道の流派は「御家流(おいえりゅう)」「志野流(しのりゅう)」を代表とし戦後生まれた「直心流(じきしんりゅう)」「泉山御流(せんざんごりゅう)」「翠風流(すいふうりゅう)」などがあります。
ここでは二大流派といわれる御家流・志野流をみていくことにしましょう。
ともに室町中期の内大臣で香所預だった三條西実隆(さんじょうにし さねたか)によりはじまりました。
御家流
公家階級を中心とした流派で、豪華な蒔絵のお道具が多く使われ、華やかで文学的な美意識にあふれています。
志野流
実隆の信頼厚かった志野宗信から伝承され、四代目より蜂谷家に引き継がれました。
香木の微妙な香りを聞きあてることを“道”とし、手前の作法も厳しく芸道として確立、使用する香道具は桑製の木地が多く、簡素ななかにも詫寂に通じる美しさがみられるでしょう。
また、桃山時代の『山上宗二記』(千利休の高弟・山上宗二が記した茶道の秘伝書)には、
「公家にては三條殿、武家にては志野殿、此の両家は、香炉並びに名香の御家也」との記載が残されています。
まとめ
元来、立ち上る香煙は神々を喜ばせ神と人間との距離を結ぶための捧げ物でした。
仏教界の輪廻転生の教えによると、死者には四十九日の間、絶やすことなく香を手向け続けなければなりません。 ゆえに古来より香木の幽玄な香りは、他に類の無いほど大変に貴重なものだったのです。
敷居が高いといわれる香道の世界ですが、香りを当てることだけが目的ではなく高貴な芳香に心をかよわせることに意味があるのです。
ぜひ年々貴重になる香木の世界に触れ、日本人の繊細な感性が生みだした独特の美意識を感じてみてください。
記事協力:香りと室礼文化研究所「香り花房・かおりはなふさ」
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