戦国武将・明智光秀は生き延びていた!「光秀=天海説」主な4つの根拠
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で描かれる明智光秀。
本能寺の変で織田信長を討った武将として知名度は高いのではないでしょうか。
光秀は、美濃土岐氏の支流に生まれ、斎藤道三に仕えた後は越前の朝倉氏に仕えたと言われており、その後、室町幕府の最後の将軍・足利義昭に仕えつつ織田信長に仕官し織田家の中核的な武将として出世を重ねました。
本能寺の変で信長を討った後、豊臣秀吉との山崎の合戦で敗北し、落ち延びる途中で落ち武者刈りに遭い命を落としたとされています。
実は、その時、最後を迎えていなかったという説があることをご存知ですか?
徳川家康のブレーンとして有名な天台宗の高僧「天海」として生き延びた説です。
「天海」について、「天海説」として考えられる主な根拠をご紹介します。
次のページ 「天海」とは
1 / 2
次のページ