【埴輪】何のために置かれた?ポーズにも意味がある!?埴輪の種類や意味を解説
埴輪とは
埴輪とよく混同されてしまうのが土偶です。埴輪と土偶では作られた年代と用途が違います。
埴輪が作られたのは古墳時代、つまり4世紀から7世紀頃。古墳の墳丘の周りなどに並べて置かれた土製の焼き物です。
種類は円筒埴輪と形象埴輪の大きく2つに分けられます。
弥生時代の特殊壺や特殊器台といった葬儀用の土器が元になっていて、時代が下るにつれて家形などの埴輪が、さらに人形や馬形の埴輪が作られるようになったとされています。
埴輪が作られ出した当初は、陵墓に埋葬された人物の権威を示したり、霊に対して捧げられたりしていたのですが、5世紀以降は葬儀の様子を表すものへと変化していきます。
また、埴輪の起源として、日本書紀にこのような話があります。
“ 垂仁天皇の時代。貴人が亡くなるとその墓である陵墓の周りに近習の者を生き埋めにする殉死の風習がありました。天皇は生き埋めにされた人々が泣き叫ぶ声を聞いて心を痛められ、この風習を辞めさせたといいます。皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が亡くなったときの葬儀の際は、家臣の野見宿禰の進言により、出雲の国の土部(はじべ)に埴土(はにつち)で人や馬などの形を造らせ、これを陵墓の周囲に立てることで、殉死の代わりとすることにしました。”
日葉酢媛命の陵墓と伝えられる佐紀陵山古墳には、実際に円筒埴輪列や、蓋(きぬがさ)形や盾形、家形をした埴輪があったようなので、あながち根拠のない説というわけではないのですが、考古学的には時代や埴輪の発展などの点から否定されています。
埴輪 挂甲の武人
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collectionItems/view/12f08f3c06a62af80737925634848303/99409
対して土偶は、縄文時代に作られた人や動物などの形をした土製品です。
有名なものには青森県の亀ヶ岡遺跡で発掘された「遮光器土偶」や長野県の棚畑遺跡で発掘された「縄文のビーナス」などがあります。
用途は、今のところはっきりとはわかっていません。女性の形をしたものが多いことから「安産や健康を祈願して作られたのでは」という説や完全な状態で発掘されることがほとんどなく、多くは破損した状態でみつかることから、「何かの儀式などで壊すために作られた」という説などがあります。
遮光器土偶
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collectionItems/view/12f08f3c06a62af80737925634848303/100771
埴輪の種類
円筒埴輪
円筒埴輪
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collectionItems/view/12f08f3c06a62af80737925634848303/95750
円筒埴輪は、初期から見られる最もポピュラーで多く作られている埴輪です。
筒状の形をしていて、まるで壺のようにも見えますが、底は作られておらず胴体の部分に丸や四角の透かし穴があります。また円筒形の変形として上部がくびれ、ラッパの形のようにひろがっている朝顔形埴輪と呼ばれるものなどもあります。
古墳の墳丘部などに囲むようにたくさん並べられたため、聖なる空間として区切る一種の結界としての役割を持っているのではないか、とされています。
形象埴輪
埴輪 盛装の男子
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collectionItems/view/12f08f3c06a62af80737925634848303/95003
形象埴輪が出現するのは4世紀中頃、古墳時代の中期から後期にかけての頃です。
家形埴輪や蓋(きぬがさ)形埴輪、船形埴輪、水鳥形埴輪が登場します。ちなみに家形は、住居や高床式倉庫を模したもので、蓋形とは貴人に差し掛ける日傘のことです。
これらは主に前方後円墳のくびれ付近に造られた“造出し”のあたりから出土しました。
さらに時代が下って5世紀後半から6世紀になると、人形埴輪や馬型埴輪など動物を象ったものが登場してきます。
人形埴輪は鎧や兜をつけ剣を持った武人を象ったものや、女性を象ったものなど様々なものがあります。このような形象埴輪は、実際に行われた葬儀の儀式などを再現するように配置され、外堤などに並べられています。
大阪府高槻市にある今城塚古墳では、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪などが発掘されていて、埴輪祭祀の実態がよくわかる遺跡として知られています。
埴輪のポーズ
男女像(馬曳き人、俗称「踊る男女」)(埼玉県熊谷市野原出土)東京国立博物館蔵
出典:Wikipedia
形象埴輪も時代が下ってくると、ポーズや装身具など細かく造作された特徴的なものが出てきます。
なかでも有名なのが通称「踊る人々(踊る男女)」と呼ばれている埴輪。これは埼玉県熊谷市野原古墳から出土したもので、東京国立博物館に所蔵されています。
丸く穿たれた目と口、左手を挙げたユーモラスなポーズ。
小さい方は角髪/美豆良(みずら)という当時の男性の髪型をしているように見えることから、こちらが男性で、被葬者の殯(もがり)などの葬儀の儀式における歌舞の姿ではないか、とされています。
が、近年このポーズにもさまざまな解釈がなされていて、片手を上げているのは馬の手綱を取っている男性2人を表している、といった説もあります。
まとめ
古墳とともに多く作られていった埴輪。
古代の人たちが作り出した素朴な造形美は、現代にあっても魅力的で埴輪に魅了される人も多いのも頷けます。
筆者が気に入っている埴輪は通称「見返りの鹿」と呼ばれているもの。
後ろを振り向いた鹿の細かな表現をかたどったもので、島根県松江市の平所遺跡埴輪窯跡から出土し、八雲立つ風土記の丘の展示学習館に所蔵されています。
可愛らしくてユーモラスに見えるものも多い埴輪の世界、ハマるとその沼は深いかもしれません・・・。
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