【歌舞伎系図】イケメンホープ達を多く抱える名門音羽屋!はじまりから歴代、当代名跡の歌舞伎役者
この記事の目次
音羽屋のはじまり
音羽屋という屋号は、初代尾上菊五郎の父、音羽屋半平(おとわや はんぺい)の名前に由来しています。
半平は、京都の「都万太夫座(みやこまんだゆうざ)」観客の案内をしたり、飲食の便宜を図ったりする「出方」という仕事を生業にしていました。
半平が産声をあげた東山の清水寺にほど近いところに、「音羽の滝」と呼ばれる滝があったので、その滝の名にちなんで自らを音羽屋と名乗るようになったと言われているそうです。なんとも粋ですね。
尾上菊五郎
初代 尾上菊五郎
[生年1717年/没年1783年]
芝居の世界で育った初代尾上菊五郎は、京そして江戸で舞台に上がり絶大な人気を誇りました。
幼少から舞台に上がって、30代を過ぎてからは立役と女方の両方を手がけて評価を得て、人気と実力を兼ね備えて、歌舞伎界に大きな影響を与えました。
二代目 尾上菊五郎
[生年1769年/没年1787年]
二代目尾上菊五郎は、初代菊五郎の実子で、1776年に尾上丑之助として京都藤川座で初舞台を踏みました。なかなかのイケメンで人気を呼び、1785年に二代目菊五郎を襲名しました。
しかし残念なことに、その2年後に病に倒れて、19年の短い人生に終止符を打ちました。
三代目 尾上菊五郎
[生年1784年/没年1849年]
現在の音羽屋の芸風を築いたと言われる三代目尾上菊五郎は、二代目の夭折によって尾上の血筋が絶えたために、門弟の尾上松助に菊五郎の名跡は受け継がれました。
役柄が広く「兼ネル菊五郎」と謳われた名優です。
四代目 尾上菊五郎
[生年1808年/没年1860年]
大阪出身の四代目菊五郎は、三代目菊五郎の娘婿として歌舞伎の世界へ。48歳の時に四代目菊五郎を襲名し、品格と情味に優れた演技で人々を魅了しました。
四代目梅小幸の時代が長かったので梅幸菊五郎と呼ばれています。
五代目 尾上菊五郎
[生年1844年/没年1903年]
五代目尾上菊五郎は芝居心と洒落気に貫かれ、人情味溢れる人だったとされています。
父は十二代目市村羽左衛門で母方の祖父が三代目尾上菊五郎という芸能一家に生まれ、九代目市川團十郎・初代市川左團次とともに「團菊左時代」を築いた明治時代を代表する名優です。
六代目 尾上菊五郎
[生年1885年/没年1949年]
六代目尾上菊五郎は、五代目菊五郎の実子で、初代中村吉右衛門とともに「菊吉時代」を築きました。
大正・昭和時代を代表する名優として神格化されて、歌舞伎界において「六代目」とは、言わずと六代目菊五郎を指すのだそうです。
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当代名跡
七代目 尾上菊五郎
[生年月日:1942年10月2日生]
七代目尾上菊五郎といえば、その華麗なる一族を紹介せずにはいられません。
妻はかつて「任侠映画の花」と言われた女優の富司純子。娘は演技派女優としてテレビや映画で大活躍中の寺島しのぶ。そして息子は現代の歌舞伎を担う若手スターの五代目尾上菊之助と、まさにスター勢揃いの尾上ファミリーの家長が七代目菊五郎です。
音羽屋のお家芸、世話物を得意とし、特に江戸っ子の小悪党をやらせたら、右に出る者はいないとまでいわれるほどの名優です。1973年に七代目菊五郎を襲名し、2003年には祖父の六代目尾上菊五郎、父の七代目尾上梅幸に続いて親子孫三代で人間国宝に認定されています。
長く上演されてこなかった狂言の復活上演に尽力し、また古典を正統的に受け継ぐ仕事にも積極的に取り組み、歌舞伎界を盛り上げています。
五代目 尾上菊之助
[生年月日:1977年8月1日生]
品のある顔立ちと色気漂う演技で人気の五代目尾上菊之助は、1984年に尾上丑之助を襲名して初舞台を踏みました。
1996年に五代目菊之助を襲名し、七代目市川新之助、二代目尾上辰之助と共に「平成の三之介」と呼ばれて新たな歌舞伎ブームを巻き起こしました。歌舞伎の古典の継承と創造を担って意欲的に活躍し、その功績は高く評価されています。
2018年には話題の連続ドラマ出演に出演し、その圧倒的な存在感を見せつけました。
NHK大河ドラマ『西郷どん』では沈着冷静、そしてなんとも気品のある尊王攘夷派の僧侶「月照」を、そしてTBS日曜劇場『下町ロケット』では、業界注目のベンチャー企業の凄腕社長「伊丹大」の中にある光と陰を見事に演じました。
プライベートでは一男二女の優しいパパでイクメンと評判です。
七代目 尾上丑之助
[生年月日:2013年11月28日生]
五代目菊之助の長男、寺嶋和史くんが2019年5月に七代目尾上丑之助を襲名する予定です。
和史くんは五代目菊之助と一緒にメディアに登場する機会があると、メディアの質問に堂々と答え、そしてファンに笑顔で手を振ってくれる「稀代のスター」。
自分の名前がまだ上手に言えずに「かじゅふみ」と言っていたことから、ファンの間で「じゅふたん」という愛称で呼ばれているのだとか。
2016年の初お目見得で歌舞伎座の舞台に上がり、2018年には初めてセリフに挑戦、そして父、五代目菊之助との共演も果たしました。2019年5月1日に新元号を迎えてからデビューする最初の歌舞伎役者になる和史くん。
音羽屋にとって、将来の「菊之助」「菊五郎」につながっていく大事な芸名を受け継ぐのにふさわしい逸材であることは間違いなさそうですね。
四代目 尾上松緑
[生年月日:1975年2月5日生]
スケールの大きい躍動感のある演技で立役として高く評価され、これからの歌舞伎界を牽引していく役者の一人と称される四代目尾上松緑。
若くして父である初代尾上辰之助が早世、その2年後には祖父の二代目尾上松緑が死去したため、音羽屋一門宗家にあたる七代目尾上菊五郎に直に師事して今日に至っています。
また六世藤間勘右衞門として舞踊の藤間流勘右衛門派の家元もつとめています。
もちろん歌舞伎と踊り以外の芸能活動も行なっていて、2000年にNHK大河ドラマ『葵 徳川三代』で徳川家光役を演じ、その名が全国のお茶の間に浸透しました。
彼の魅力は抜群の踊りの才と、愛嬌、迫力、そしてなんとも言えないユニークな表現力と評されています。
二代目 尾上松也
[生年月日:1985年1月30日生]
イケメン歌舞伎俳優として有名な二代目尾上松也は、その華やかなイメージからは想像するのが難しいのですが、なかなかの苦労人のようです。
1990年に父の六代目尾上松助襲名に併せて二代目尾上松也として初舞台を踏み、子役として数々の賞を手中に収めました。
2005年に父の六代目松助が他界すると、20歳の若さで家族や弟子を抱える一門の主となり、お家存続の為に大きな借金を抱え、25歳で取り組んだ自主公演『挑む』の集客がなかなかうまくいかず、さらに多額の借金を抱えてしまい「メールで遺書を書いたことがある」と二代目松也本人が語っています。
2014年、二代目松也は活躍の幅をドラマ、ラジオ、バラエティー番組への出演などにも広げて、その端整な容姿と涼やかなよく通る声で、「歌舞伎界の若手ホープの一人」と称されるまでの名声を獲得し、現在に至っています。
二代目 尾上右近
[生年月日:1992年5月28日生]
二代目尾上右近は、歌舞伎と歌舞伎舞踊の伴奏音楽として用いられる浄瑠璃の流派「清元節(きよもとぶし)」宗家の家に生まれました。
曽祖父は大正・昭和時代を代表する名優、六代目尾上菊五郎。母方の祖父には昭和を代表する映画スター鶴田浩二。
曽祖父の六代目菊五郎の演ずる『春興鏡獅子』の映像を観て、歌舞伎役者を目指そうと心に決めたそうです。踊りに定評がある歌舞伎界の新鋭は、七代目尾上菊五郎に師事し、2005年に二代目尾上右近を襲名しました。
また2018年には、江戸浄瑠璃清元節における浄瑠璃方の名跡七代目清元栄寿太夫を襲名披露しました。
立役のときはパワフルに、女方のときはエレガントに舞台を彩り、若手実力派No.1の呼び声が高く、踊りの実力も高く評価されています。
まとめ
名門音羽屋の歴史と歴代、当代名跡の役者達、いかがでしたか。
音羽屋からは若い息吹が感じられますよね。音羽屋は、尾上菊五郎と坂東彦三郎の2つの家系に分かれていて、この2つの間に血縁関係はありませんのでご承知おきください。
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