【出雲そば】日本三大そばのひとつ! “割子そば” に “釜揚げそば” 歴史に特徴を紹介
出雲そばの歴史
出雲地方にそばを食べる文化が広まったのは、江戸時代の1638(寛永15)年に藩主の松平直政が信州松本から出雲松江藩に移封されたことがきっかけだと考えられています。
良質なそばの産地であった信州の職人を松江に連れてきたことで、そばを食べる習慣が松江でも根付きました。さらに、松平不昧(ふまい)の号で知られる7代藩主の松平治郷(はるさと)は茶人としても有名で、茶懐石にそばの実を使ったお菓子やそば湯を取り入れ、上流階級にそば文化を浸透させました。
寒冷で痩せた土地でも収穫が可能なそばは、主に中国山地に近い奥出雲地方で栽培されています。山間地のため昼夜の寒暖差が大きくデンプンが熟成しやすいという条件に恵まれており、現在でも上質なそばの実の産地として知られています。
出雲そばの特徴
出雲そばは、殻のついたそばの実をそのまますり潰してそば粉にする「挽きぐるみ」という製法で作られています。そばの実は中心に行くほど白っぽい色をしており、例えば関東で食べられる「更科そば」は、一番粉と呼ばれる胚乳の中心部分のみを使用しています。そのため麺は白色をしており、そば粉の選別をしているので値段も高いのが一般的です。一方、殻を残したまま挽き込んで作られる出雲そばの麺は黒っぽい色をしており、更科そばとは対極の田舎そばと呼ばれることもあります。
食べ応えも、ツルっとした喉ごしを楽しむ更科そばに対し、出雲そばはしっかりとした噛み応えがあります。更科そばを食べなれた人からしたら、少しザラザラとした食感かもしれませんが、殻に近い部分が含まれている分、そば本来の味と香りをしっかり楽しむことができます。
出雲そばの食べ方
出雲そばは、大別すると冷たい「割子そば」と温かい「釜揚げそば」という2種類の食べ方があります。城下町の松江で生まれた割子そばに対し、釜揚げそばは出雲大社をはじめとする門前町で誕生しました。歴史的な経緯が異なっているため、2つのそばには食べ方や汁の温度に違いが生じています。
割子そば
ぶっかけうどんのように、そばが入った丸い器に直接冷たいつゆをかけて食べるのが割子そばです。
もともと江戸時代に屋外でも食べられるように四角形の重箱が器として使われ、明治時代に衛生的な観点から四隅が洗える丸形となりました。松江の城下町を中心に弁当箱として考案されたものが割子そばの起源です。
食べ方の特徴として、複数重ねられたそばの丸い器に、青ねぎ、海苔、かつお節などの薬味とつゆを入れ、食べ終わったら残りのつゆを二段目以降の器にかけて食べます。つゆを使い回しながら上から順に食べていき、少なくなったら適宜つゆと薬味を追加していきます。今では薬味の種類も多くなり、ウズラの卵や紅葉おろしをトッピングするお店も増えています。
釜揚げそば
釜揚げそばは屋台のそばが起源となっており、特に旧暦10月に出雲地方で行われる「神在祭」の時に、多数の参拝客に提供するために誕生しました。
限られた屋台の設備で手際よくそばを作らないといけないため、水洗いの工程を省き、器の中に茹でたそばとそば湯を入れて提供します。そして、割子そばと同様、自分好みの量のつゆと薬味を入れて、味を調節してから食べます。掛けそばと同様に温かいそばですが、かつおだしや醤油から作ったスープは使わずに、そば湯をそのまま汁として使うのが特徴です。
神在祭が行われる旧暦10月は今の暦では11月ごろになるので、ちょうど温かいそばで体を温めるには適した時期となっています。
おわりに
出雲そばを提供するお店は現在でも松江市内や出雲市内(特に出雲大社周辺)に多くあり、地元民のみならず観光客にも人気の郷土料理として親しまれています。同じ出雲そばでも店舗独自のこだわりがあり、観光の際は食べ比べをしても面白いかもしれません。
店ごとのそばつゆや薬味の違いを比べてみるのも、出雲旅行の楽しみのひとつになるはずです。
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