【寿司】日本人のソウルフード!? 寿司の歴史と江戸前の代表的な寿司ネタを紹介
寿司の歴史
寿司の起源と考えられているのは、魚をご飯と塩で乳酸発酵させた「熟鮓(なれずし)」です。東南アジアで魚を長期保存するために誕生した調理方法で、中国を経由して日本にもたらされました。
熟鮓のご飯は食べるものではなく、魚を長期間ご飯に漬けることで乳酸発酵を促進する漬け床の役割を担っていました。現在でも残されている熟鮓として、滋賀県の郷土料理である「鮒ずし」が挙げられ、琵琶湖の珍味として重宝されています。
室町時代になると発酵期間を短くしてご飯も食べるようになる「なまなれ」が登場します。これにより寿司がご飯料理へと進化し、魚も発酵しきらず生に近い状態で食べられるようになります。
そして江戸時代になり酢が普及し始めると、発酵させる必要のない「早寿司」が誕生します。江戸時代中期に酢飯と具を重ねて押し固めた「押し寿司」が作られるようになり、酢締めや昆布締めにした魚介類が寿司ネタとして使われるようになります。
江戸後期になると、現代人に馴染みのある「握り寿司」が誕生します。握り寿司が生まれた江戸の町は男性の人数が多く、食事を手軽に済ますことができる屋台が天明年間(1781年~1789年)以降に盛んになっていきます。握り寿司も手軽に食べられるファストフードとして広まり、東京湾で獲れる魚介類を使った江戸前寿司が評判となります。
当時の寿司は今よりもサイズが大きく、おにぎり1個分ほどもあったことから、切り分けて食べていたため1皿に2貫を盛るスタイルになったという説もあります。
代表的な寿司ネタと調理方法
現代では生の魚介類を寿司ネタとすることが多いですが、江戸時代は冷蔵技術が限られていたため、醤油漬けにしたり酢や塩で締めたりして保存しやすくするのが一般的でした。
これらの調理方法は現在でも仕込みとして技術が残されており、丁寧な仕込みの作業によって寿司の美味しさを最大限に引き出すことができます。
江戸前の伝統的な寿司ネタとその仕込みの方法を紹介していきます。
マグロ
現代、最も人気のある寿司ネタの1つであるマグロですが、江戸時代は「下魚(げざかな)」と呼ばれ、けっして高級な食材ではありませんでした。
大トロや中トロといった部位は、脂が多く品質が落ちやすいことからあまり食べられず、保存性の高い醤油漬けにした赤身が食べられていました。
湯引きした後に調味液に漬けることで、塩分濃度が高まるとともに空気から遮断され、生の状態よりも長持ちさせることができます。また、醤油に含まれるアミノ酸によってマグロの旨味が増し、ねっとりとした食感になります。
コハダ
出世魚であるコハダは成長の過程でシンコやコノシロとも呼ばれ、江戸時代から人気の寿司ネタでした。
コハダは塩と酢で漬けた酢締めで食べるのが一般的で、この調理法により身崩れしにくく生臭さを抑えることができます。酢締めはキスやサバなどの光り物のネタによく利用され、江戸前寿司では非常にポピュラーな調理方法でした。
煮アナゴ
火を通して煮るという調理法は、アナゴに限らずハマグリなど他の寿司ネタにおいても頻繁に利用されます。
煮ることにより身質が柔らかくふっくらとした食感になります。そして、アナゴの頭や中骨から抽出した煮汁に、醤油やみりんなどを加えた甘辛いタレを付けて食べるのが一般的で、魚介類の汁を煮詰めていく工程からこの甘辛いタレを「ツメ」と呼びます。
厚焼き玉子
シャリの上にだし巻き卵が乗っている現代の寿司とは異なり、江戸時代に提供されていた厚焼き玉子はカステラのような見た目をしています。
エビや白身魚のすり身に山芋を加え、塩、砂糖、みりんなどで味付けした生地を焼き上げたふわふわの玉子焼きです。
擂鉢で魚介類をすり潰したりたくさんの卵を溶いたりするなど非常に手間のかかる作業が多いため、今では一部の寿司屋さんでしか提供されない非常に貴重な料理です。
おわりに
ネタを食べやすく、そして美味しくするために、職人の包丁裁きも江戸前寿司の大事な仕込み作業となります。
脂の乗り具合や筋の入り方によって、包丁の入れ方や切れ目の厚さを調節し、素材を活かすような工夫が必要となります。また、イカなどのネタには表面に細かい切れ目を入れた隠し包丁を施すことによって、食感を整え食材の味を引き出す効果があります。
寿司が日本を代表する料理として世界に認められているのも、長い年月をかけて培われてきた職人の技術が寄与しています。
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