【江戸東京博物館】人が集まり、文化が生まれた都市! リニューアル記念特別展「大江戸礼賛」
都市以前の武蔵野
まず、都市が成立する以前の関東平野のイメージから始まります。
万葉集以来語られてきた「武蔵野」という土地の記憶。広がるすすき野原と地平線まで続く空。山も建物もないため、月が地面に沈んでいくように見える風景を象徴する《武蔵野図屏風》を通じて紹介しています。
都市としての江戸は、何もない土地だった武蔵野の風景の上に生まれました。

展示風景
武士の都市としての江戸

紺糸素懸威五枚胴具足 明珍宗保/作 天保15年(1844) 東京都江戸東京博物館蔵
徳川幕府の成立以降、江戸は全国の大名や旗本が集住する武士の都市として整備されました。武士の行列が日常的に見られる都市景観そのものが、江戸の特徴だったといいます。
展示では、甲冑や刀剣などの武具が戦闘の道具としてではなく、家の格式や威信を示す象徴として用いられていたことも紹介されます。
婚礼調度や誕生儀礼を再現した展示からは、武家社会の生活文化の具体的な姿が見えてきます。特に武家の誕生儀礼を示す資料は類例が少なく、当時の暮らしを知るうえで貴重な手がかりとなっています。

展示風景
町人文化が都市を動かした

市川鰕蔵の竹村定之進 東洲斎写楽/画 寛政6年(1794) 東京都江戸東京博物館蔵
江戸は18世紀初頭には人口100万人を超える世界有数の大都市となり、商人や職人を中心とする町人層が都市文化を支える存在になっていきました。
当時の文献には、江戸の三大繁華として、「相撲」「歌舞伎」「吉原」が挙げられています。
展示では、こうした都市の娯楽文化を描いた錦絵や役者絵が紹介されます。とくに東洲斎写楽の役者絵は、限られた線と色の中で役者の個性を強く表現する作品として知られています。また、この作品に描かれた目の表現は東京都江戸東京博物館のシンボルマークのモチーフにもなっているそうです。

展示風景
火事とともに生きた都市

刺子長半纏 龍虎図 江戸時代末期 東京都江戸東京博物館蔵
江戸は火災の多い都市でもあり、武家火消と町火消という二つの消防組織の役割が紹介されています。武家火消は華麗な装束を身にまとい、武の象徴としての意味を持っていました。一方で町火消は刺子の半纏を重ね着し、水を含ませて火災現場に向かう実用的な装備を備えていました。
当時の消火活動では消防車のような設備はなく、延焼を防ぐために建物を破壊する「破壊消防」が主流でした。展示では、鳶口や刺又といった道具も紹介され、都市の防災の仕組みが具体的に見えてきます。

展示風景
人のつながりから生まれた文化

平賀源内書簡(部分) 平賀源内/筆 安永4-8年(1775-79)頃 東京都江戸東京博物館蔵
趣味や学芸に才能を発揮し、その名を広く知られる人物たちが次々と登場しました。彼らは立場や身分を越えて集い、互いに刺激を与え合いながら知識や技術を育んでいきます。
天明期にブームとなった狂歌を牽引した「大田南畝」、異国の文物を積極的に取り入れ多方面で活躍した「平賀源内」、大名家に生まれながら文芸に傾倒し一派を成した「酒井抱一」、そして『南総里見八犬伝』などのベストセラーで知られる「曲亭馬琴」。
それぞれの活動を通して、文化や学問が個人の才能だけでなく、人と人との交わりの中から生まれていったことが見えてきます。

展示風景
「花のお江戸」という都市の誇り

東都両国ばし夏景色 橋本貞秀/画 安政6年(1859) 東京都江戸東京博物館蔵
京都や大阪と異なる歴史により、人口増加と経済発展、文化の成熟によって江戸には独自の都市意識が育まれていきました。
神田祭の山車を描いた資料や両国橋の賑わいを描いた錦絵からは、都市の活気と人々の誇りが伝わってきます。
江戸という都市を形づくったのは、制度でも建築でもなく、人と人との関係だったのかもしれません。

展示風景
