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【日本舞踊】日本舞踊を知る!有名5大流派の特徴や成り立ち

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日本舞踊とは

日本の舞踊の起源は「天岩戸の前でのアメノウズメノミコトの踊り」だとよく言われます。
女神の踊りに八百万の神々が歓声を上げ、引きこもりの天照大神を外に誘いだして世界を暗黒から救いました。でも、もちろん、この神話のお話が日本舞踊の直接の始まりというわけではありません。

日本舞踊は、江戸時代に歌舞伎から派生しました。
歌舞伎は女性から始まりましたが、風紀上から女性が舞台に立つのは禁止されましたが、大奥で歌舞伎舞踊を披露する女性達がいたのです。彼女らは、歌舞伎好きの商家の子女にも踊りを教えるようになりました。贔屓の歌舞伎役者の踊りを真似たい町娘達に、需要があったようです。

これが日本舞踊の始まりです。

明治以降、日本舞踊は美しい所作を身につけるための習い事となり、多くの師匠が看板を上げるようになりました。そして、流派のシステムも整備され、ほとんどの舞踊家とその弟子達がいずれかの流派に所属すようになります。各流派内で一定の技量を満たしていると認められれば「名取資格」が与えられ、流派の名を冠した芸名を許されていきました。
流派には、江戸時代から続くものと近年興ったものがあり、現在200程あると言われています。

日本舞踊の有名流派

花柳流

 [はなやぎ りゅう]

初代 花柳寿輔じゅすけによって始まりました。
寿輔は、元々は西川流宗家そうけの四代目西川扇蔵せんぞうの門下で、歌舞伎役者の市川團十郎の弟子として役者デビューもしています。家庭の事情で役者を諦めた後は振付師を目指し、扇蔵にも将来を嘱望しょくぼうされていましたが、扇蔵の没後、流派を破門になりました。
破門後は、自分の育った吉原に戻って芸者達に踊りを教えていました。
やがて吉原の顔役が後ろ盾になり、その勧めによって「花柳」という性を使って歌舞伎の振付師に復帰したのが花柳流の興りだと言われています。

寿輔は明治歌舞伎の振付師として活躍し、二代目寿輔も精力的に歌舞伎舞踊を振りつけました。
しかし戦後の花柳流は歌舞伎から離れ、流派の舞踊家育成と組織の体系化に力を注ぐようになり、細やかに振りつけが定められるなど、流派内での統一性の維持も図られています。
現在では、五大流派の中でも所属人員最多の最大組織となっています。

藤間流

[ふじま りゅう]

江戸時代から300年以上歌舞伎と深く関わりあってきた伝統ある流派で、細やかというよりも、劇場で映える大きな踊りの振付であると言われています。

幾つかの分派があり、現在の宗家は藤間勘十郎かんじゅうろうです。

藤間流始祖しそは藤間勘兵衛かんべえで、江戸に出て歌舞伎振付師となった際、故郷の村の名前を性にしました。
数代後の勘兵衛の養子筋から出たのが勘十郎家でしたが、本家の勘兵衛家が途絶えた後は、勘十郎家に宗家が任され、結果的に統合継承されたのです。

勘十郎宗家からは歌舞伎界の名振付師が輩出されており、現宗家も歌舞伎舞台の振付の多くを手がけ、歌舞伎界の御曹司の多くが師事しています。

勘十郎派の次に大きいのが、初代勘十郎の弟子が独立して興した勘右衛門かんえもん派です。
初代と二代勘右衛門は歌舞伎役者から転向した振付師でしたが、三代目以降は現役の歌舞伎役者達によって受け継がれており、当代勘右衛門は、役者としては三代目尾上松緑です。
また、紫派藤間流や紋三郎流藤間流など、他にも歌舞伎界に縁に深い分派があります。

若柳流

[わかやぎ りゅう]

初代家元の若柳寿童わかやぎじゅどうは、花柳流初代家元の花柳寿輔はなやぎ じゅすけの弟子で歌舞伎振付に携わっていましたが、破門されて自ら流派を興しました。
師の花柳寿輔と意見対立があったのだと言われています。

独立後は歌舞伎を離れ、花柳界かりゅうかいから活動の場を広げていきました。花柳界から発展した流派なので、振りの繊細さと全体の品位を大切にしているそうです。

三代目家元襲名の折、複雑な事情により、正派若柳流と宗家若柳流に分裂し、さらに幾つかの分派に枝分かれしましたが、すべてを若柳流として合わせれば大規模流派になります。

正派若柳流は、家元制度ではなく理事制という珍しい体制の元、著名舞踊家を輩出しています。
現在の宗家は拠点を京都とし、京都花街の宮川町の芸舞妓の指導もしていますが、宗家自身は歌舞伎舞踊も積極的に演じ、流派の重鎮が上方歌舞伎の役者の舞踊振付を手がけることもあります。

西川流

[にしかわ りゅう]

元禄時代に始まった、最も古くて、由緒のある流派です。
流祖の西川扇蔵は、歌舞伎囃し方から振付師に転向しました。その後、歴代家元により、「鷺娘さぎむすめ」「関の扉せきのと」「勧進帳かんじんちょう」などの名作歌舞伎舞踊が振り付けられました。

当代宗家家元は、自身が理事長として超流派の団体の日本舞踊振興財団を設立し、他流派の舞踊家達と協力して、日本舞踊を次世代に伝えていくための活動を行っており、裾野を広げるために子供教室や海外公演にも積極的です。

有力分派に名古屋を拠点とする名古屋西川流があります。
元歌舞伎役者で西川流門弟だった初代西川鯉三郎が独立を許されて始めました。二代目鯉三郎も高名な舞踊家ですが、元は役者で、歴史に残る踊りの名手の六代目尾上菊五郎の部屋子でした。
当代の名古屋西川流家元右近は、スポーツ科学者と協力して日舞の動きを取り入れた運動プログラムを開発するなど、独特の活動を行っています。

坂東流

[ばんどう りゅう]

歌舞伎の名跡坂東三津五郎家が代々家元を継承しており、自ずと歌舞伎色が一番強い流派です。

家元が歌舞伎の家であるからこそ、舞踊にも「演じる」ということが大事にされています。歴代家元には歌舞伎舞踊の歴史上重要な名優の名前が見られ、彼らが初演した演目から舞踊の名作が生まれています。

流祖と呼ばれる三代目三津五郎は、変化舞踊の名手で、複数のキャラクターの踊りがセットになり、それらのキャラを早変わりで順番に一人で踊り分けるというものです。その中から、「汐汲みしおくみ」「願人坊主がんにんぼうず」「傀儡師くぐつし」など個々の踊りを独立させて、現在日本舞踊の定番になっているものが多数あります。
七代目三津五郎も「踊りの神様」と称された名手で、その後も名優が続きました。2015年に亡くなった10代目も若い頃から舞踊に定評があり、18代目中村勘三郎とのコンビでも名舞台を残しており、早すぎる死が悼まれました。
現在の家元は、三津五郎長男で若手役者として活躍中の坂東巳之助です。

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まとめ

五大流派をざっとまとめてきましたが、この他にも日本舞踊の流派は多数あり、また、上方舞や地唄舞などもあります。

しかし、言うまでもないことですが、それぞれの流派の由来や特色の違いよりも、入門を考える場合に一番大切なのは、敬愛できる師匠との巡り合いでしょう。


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ライター紹介 ライター一覧

ゆっこ

ゆっこ

京都の町屋に住むおばあちゃんっ子だった頃から、和の物が大好きでした。炬燵に当たりながらテレビで歌舞伎中継を一緒にみて、祖父母のコメンタリーを聞いておりました。

舞妓さん達に憧れながらも、大きくなってからは所謂リケジョ。理工系大学院に進み、研究室に夜中まで籠りっきりの生活でした。なかなかお洒落とは無縁でしたが、きれいなお着物は大好き。

お茶を習いだすと次第に手持ちの着物が増えていき、やがて日本舞踊にはまって名取になり、人様に「日本の伝統文化っていいんだよー」と紹介できる機会にも少しずつ恵まれてきました。

昔は、大都市の下町の女の子達が自然に日本舞踊のお稽古に通っていたそうです。今のピアノ人口よりも多かったかもと聞きました。多くの人が気軽に伝統文化に親しめるといいな、と思っています。

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