【落語】落語の神様!五代目「古今亭志ん生」代表演目あらすじ解説[厳選三演目]
火焔太鼓
夫婦のやりとりのあざやかな対比が、聴きどころの噺
道具屋の甚兵衛は、商売が下手で、いつもかみさんからさんざん小言を言われている。
そんな甚兵衛。汚い太鼓を一分(1両の4分の1、現在の約2万円)で仕入れて来たので、かみさんから文句を言われる。
そんなある日、店先で手伝いの定公が埃をはたきながら、面白半分にその太鼓を「ドンドン」と叩いていると、家来が入ってきて、
「今、お上がお駕籠でご通行になる際、太鼓を打ったその音が耳に入って、どういう太鼓であるか見て来いとおおせられるから、屋敷へ持参いたせ」という。
それを聞いて驚いた甚兵衛が太鼓をお屋敷へ持参すると、「これは火焔太鼓といって、世にふたつというような名器である。」と、大変気に入り、三百両(現在の約2千400万円)で売れた。
宙を飛ぶように急いで家へ帰り、かみさんに事の成り行きを説明する甚兵衛。
中々信用しないかみさんの前に五十両ずつ出す。
するとかみさんは、ころっと態度が変わりお世辞がうまくなる。
「今度は、半鐘を買ってきて叩こう」
「半鐘はいけないよぉ、オジャンになるから」
[補足]
「火焔太鼓」とは、舞楽に用いるものであり、太鼓の周りには火焔の装飾があります。
またこの演目は、初代三遊亭遊三が演じたのを志ん生が聞き、ウロ覚えしたものを、長い時を経た昭和初期、自己流に組み直したのがはじまりです。
そのため、「火焔太鼓」は志ん生の代名詞ともいわれています。
黄金餅
下谷から麻布まで、死骸を担いで行く道順と、和尚の珍妙なお経が聴きどころの噺
江戸は下町の下谷山崎町(現在の東上野四丁目、北上野一丁目辺り)に、西念というとても貧しい坊主がおり、ケチに暮らし金を貯めていた。
しかし、病気で寝込んでも医者にかからず、だんだんと症状が重くなる。
そんな西念が、隣家の金山寺味噌売りの金兵衛に「あんころ餅を、見舞いとしてお前さんの銭で買ってくれ」と頼む。
買ってやると西念は「人に見られていては食えない性分だから」と、金兵衛を帰らせる。金兵衛は、腹を立てながらも気になり、壁の穴からのぞき見る。
すると西念は、胴巻きから金を出すと、餅にくるんで食べてしまう。しばらくすると、苦しみだし息絶える。
これを見た金兵衛は、その金を手に入れようと一計を案じ自らの檀那寺である、麻布絶江釜無村の木蓮寺へ西念を運び、葬式を演出しようと試みる。
早桶の代用として菜漬けの樽につめた神仏を、今月と来月の月番がかつぎ、上野・神田・日本橋・京橋・新橋・愛宕下・飯倉をたどって行く。
やっとこさ木蓮時に着いて、声をかけると、飲んだくれの和尚が、荒れ放題の本堂で珍妙極まるお経をあげる。
なんとか法事が終わり、金兵衛は焼き場へ行き早く焼くようにおどしつけ、
「仏の遺言だから、腹のあたりは生焼けに」と注文してから、夜明かしの屋台が出ている新橋へ行き時間をつぶす。
白々明けに金兵衛は立ち戻り、「素人に骨上げは出来ない」と止められるのを追い払い腹部をあじ切りでかき回して、熱くなった金を拾い上げた。
「この金を持ちまして、金兵衛、目黒へ餅屋を出しまして、その名も黄金餅と名づけ、たいそう繁盛いたしました。江戸の名物、黄金餅の由来という一席であります」
[補足]
志ん生の落語の中では『火焔太鼓』と肩を並べる演目です。志ん生が、三代目五明楼玉輔から教えてもらったといわれています。
底辺にうごめく人間の生活感の話芸が飛び切り豊かで、最も志ん生らしい噺ともいえます。
富久
なけなしの金で買った富の札をきっかけに、起伏の激しい人生経験をする幇間の噺
年の瀬の町を歩いていた、幇間の久蔵は、知り合いの六兵衛に、呼び止められる。
実は久蔵、酔うと商売っ気を失って、客に毒づいたりする悪い酒癖がたたり、ひいき筋をことごとくしくじって、浅草三間町(雷門一丁目〜寿町三丁目)の裏長屋に閑居中である。
そんな久蔵をたしなめて再起を促した六兵衛。
この六兵衛は、隠居の身で、退屈しのぎに富の札を売っている。
久蔵はこれまで、富には手を出さなかったが、「一番富(一等賞)なら千両」という高額の賞金に興味を持ち、杉の森稲荷の「鶴の千五百番」という一枚を一分(約2万円)で買う。
そして久蔵は、わび住まいに帰ると大神宮さまの神棚の中へ富札を納めてお神酒を供え、「神様は人助けが仕事なのだから、どうか当てて下さい、当たれば金無垢の鳥居を寄進します」と拝む。
しかし、直ぐにお神酒を下ろして飲み、酔い寝する。
そんな最中、半鐘の音がした。
相長屋の男が、近所の大屋根に上がって見てみると、火事は芝の久保町(三田一丁目〜麻布二の橋付近)あたりと見定める。そこで男は、ある事を思いつき、久蔵を呼び起こしに行った。
普段から久蔵が、久保町の旦那と口にしているので、「見舞いに行けばしくじりが許されるかもしれない」と進めたのだ。
その親切に感謝して、久蔵は寒風の吹きすさぶ道を大急ぎで参る。喜んだ旦那から出入りを許され、その後、鎮火の知らせがあった。しかしほっとする間も無く、鎮火見舞いが次々とおとずれる。
久蔵は、顔の広さと愛想の良さを買われて、見舞い客の応接と記名を担当する。
そうこうしていると、本家から見舞いの酒肴が届き、応接をしながら飲むうちに、つい量を過ごして酔いつぶれる。
そんな時に、また半鐘の音がした。火事の多い晩である。しかしその火事は、浅草三間町あたりらしいと起こされた久蔵。急いで浅草三間町へ戻った。
すると火元は隣の洗濯糊屋の婆で、長屋は丸焼け。
芝久保町へ戻ると、旦那の計らいで居候をさせてもらい衣食に小遣いまで与えてもらう。久蔵は、その申し訳なさと営業再開準備で出歩き始めた年の瀬に日本橋、人形町界隈を通りかかる。
するとそこは、人で溢れていた。聞けば、杉の森稲荷の突き富の日だった。
期待の興奮が、渦を巻いている境内。
一番富が「鶴の千五百番」と聞いて、久蔵は腰を抜かす。
周囲の人たちに担がれて、本殿に近づけば、六兵衛が迎えて大喜びしてくれたが、証拠の札が神棚もろとも焼失していることを聞くと、「気の毒だが、とりきめなのであきらめろ」と言う。
久蔵は「お前の軒先で首をくくる」などとわめいたが、どうにもならない。
魂も抜けて歩いていると、呼び止めたのは旧知の鳶頭で、火事の晩、留守の久蔵宅から布団と釜、それに神棚を運び出し自宅に預かっているという。
「こん畜生!泥棒!」と、逆上して怒る久蔵が鳶頭の家へついて行き形相すさまじく扉を開けると「鶴の千五百番」の札があった。
鳶頭は喜んでくれ、「この暮れへきて千両とは大したもんだァ、普段の心がけがいいからだ。それにしても、千両なんぞ当てやがって、どうするんだい」
「大神宮さまのおかげで、方々にお払いができます」
[補足]
この噺は、志ん生と同時期に活躍し比較される、8代目桂文楽の十八番の中でも最大級のものと大絶賛されていますが、志ん生の飄々とした語り口と、卓抜なギャグも人気です。
また志ん生の久蔵は、文楽の久蔵よりも酒のだらしなさが目立ち、もう一段、脳天気の度が強く演じられています。
まとめ
古今亭志ん生の代表演目三席を紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
志ん生は、自らの生き方と落語の登場人物が重なるからこそ出てくる、独自の話芸や洒落、そしてなにより人情を感じられるところが、一番の魅力です。
この魅力こそが、時代が変わった今でも、多くの人に愛されている名人の所以であります。
わつなぎオススメ記事 >>【落語】おもしろおかしい話にほろりとくる話!落語演目あらすじ18選。与太郎も登場