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【東北名城】地形を活かした土塁づくりも魅力!様々な魅力がある 東北名城10選列挙

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弘前城

[ひろさきじょう]

所在地:青森県弘前市下白銀町1
築城年:慶長16年(1611年)


出典:Wikipedia

現存12天守の一つであり、東北で唯一江戸時代の天守が残るお城です。現在もほり石垣いしがき土塁どるいなど城郭じょうかくの全容がほぼ廃城時の原型をとどめており、やぐら3棟、城門5棟も現存しています。

3棟の櫓は、天守から見た方角を十二支で示した辰巳櫓たつみやぐら(南東)、未申櫓ひつじさるやぐら(南東)、丑寅櫓うしとらやぐら(南西)があり、通常備えられているはずの敵の侵入を防ぐ石落としはなく、物見台ものみだいとしての役割が大きかったようです。

また、積雪を考慮して天守の屋根には銅瓦葺どうかわらぶききが使用され、大雪が降っても割れないようになっており、正面玄関の追手門も通常より高く作られているのが特徴です。

日本三大桜の名所としても知られ、桜の季節になると日本最古のソメイヨシノや花筏はないかだなど日本一美しいといわれる桜を堪能できます。


根城

[ねじょう]

所在地:青森県八戸市根城字根城47
築城年:建武元年(1334年)


出典:Wikipedia
日本でも数少ない中世のお城で、南北朝時代に南朝方なんちょうがたの武将であった南部師行なんぶもろゆきによって築かれた茅葺かやぶき屋根のお城です。一番の目的は外敵に攻められた際の防御の拠点となること。

戦闘に対する備えはありますが、この時代は質素なお城が一般的でした。南朝方の根本となる城という願いを込めて「根城ねじょう」と名付けられたと言われています。

八戸地方の中心として栄え、約300年間にわたり一度も落城することはありませんでした。

しかし、寛永4年(1627年)に領地替えにより廃城となってしまいます。

現在は館跡の礎石そせき曲輪くるわ空掘からぼり、土塁が遺構いこうとして残っており、本丸には城主が儀式などを執り行った主殿や中馬屋なかのうまや、工房、鍛冶工房、板倉、納屋、東門が復元され、安土桃山時代の根城の姿を見ることができます。


盛岡城

[もりおかじょう]

所在地:岩手県盛岡市内丸
築城年:慶長3年(1598年)


出典:Wikipedia

盛岡の白い花崗岩かこうがんを積み重ねた、東北屈指の規模を誇る壮大な総石垣造そういしがきづくりのお城です。

盛岡城は奥州支配の拠点のひとつとして、豊臣政権が築城を命じたため西国の石垣を築く技術者に恵まれたことから、石垣造りのお城を造ることができたと考えられています。

別名「不来方城こずかたじょう」と呼ばれていますが厳密には別のお城であり、不来方城を基礎にして盛岡城は築城されました。

築城に長い時間をかけたこともあり野面積のづらづみ(本丸東側)、布積ぬのづみ(二の丸西側)、乱積らんづみ本丸下段腰曲輪ほんまるげだんこしくるわ)など城内の石垣は造られた時期ごとに、さまざまな技法を堪能できます。

明治時代に廃城となり建物はほとんど残っていませんが、美しい石垣だけでなく盛岡市を一望できる眺めの良さも大きな魅力です。


多賀城

[たがじょう]

所在地:宮城県多賀城市市川字城前
築城年:神亀元年(724年)


出典:Wikipedia

多賀城は別名「多賀冊たがのさく」とも呼ばれる日本の古代城柵こだいじょうさくです。

奈良時代から平安時代に古代の東北地方を治めるために築いた大和政権の中心的な場所で、行政施設であり軍事的防御施設でした。

お城の外郭は約900m、四方のゆがんだ方形で南・東・西に門が置かれ、城内の中央には重要な政務や儀式を行う政庁がありました。

政庁は4〜5mの築地塀に囲まれ、内部には正殿せいでん脇殿わきでん後殿こうでんろうなどが計画的に配置されていたそうです。

建物は残っていませんが政庁跡や城碑が残り、現在は「多賀城跡」として平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)に並ぶ日本三大史跡の一つとして国の指定する特別史跡になっています。


仙台城

[せんだいじょう]

所在地:宮城県多賀城市市川字城前
築城年:神亀元年(724年)


出典:Wikipedia

仙台城は独眼竜どくがんりゅうの異名を持つ伊達政宗が築城した別名「青葉城」や「五城楼」と呼ばれるお城です。

日本で最も優れ、最も堅固な城の一つと称され、仙台平野を見下ろす青葉山に築かれました。

標高は約130mあり東と南を断崖が固める、守りやすく攻めにくい天然の要塞となっています。

将軍・徳川家康に敵意がないことを表すため天守閣は設けず、城の中心部にその広さから「千畳敷せんじょうじき」とも称された大広間が造られ、狩野派の絵師である狩野左京によって豪華絢爛な桃山様式の障壁画や襖絵が描かれました。

東側の崖には伊達家を象徴する伝統的建物である「懸造がけづくり」がせり出すようにして建てられ、城下を一望できたようです。

難攻不落の城であった仙台城ですが、建物は焼失してしまい、現在は石垣や脇櫓が復元されています。


久保田城

[くぼたじょう]

所在地:秋田県秋田市千秋公園1-39
築城年:慶長9年(1604年)


出典:Wikipedia

久保田城は久保田藩初代藩主である佐竹義宣さたけよしのぶが築城した別名「矢留城」「葛根城」と呼ばれているお城です。

土塁づくりのお城で、天守閣がありません。

高い土塁、枡形の出入口、深い水堀でしっかりと守りを固めたお城でした。

しかし度重なる火災により焼失し、唯一藩政時代から現存しているのは「御物頭御番所おものがしらごばんしょ」で城内の二ノ門の開閉や城下の警備、火災消火等を担当していた足軽の組頭の詰所です。

本丸に建てられているのは天守閣ではなく、8つあった御隅櫓おすみやぐらの北西隅に位置していた「新兵具隅櫓」です。本丸の玄関口として利用されていた「久保田城表門」も復元されています。


山形城

[やまがたじょう]

所在地:山形県山形市霞城町
築城年:延文2年(1357年)


出典:Wikipedia
山形城は東日本随一の広さを誇り、平面規模では全国5位のお城です。

中心から本丸・二ノ丸・三ノ丸と同心円状に堀と土塁で囲まれています。

日本全国でも稀な構造をしていて三ノ丸に出入り門が11あることや、二ノ丸・三ノ丸の方が本丸より高い位置に作られているのが特徴です。

長谷堂城はせどうじょうの戦いで直江兼続なおえかねつぐが富神山の麓から城を見ていて、10日程経過しても霧で隠れて見えなかったことから別名「霞城」と呼ばれ、三ノ丸の出入り門の数である十一に口を加えると「吉」の文字になることから「吉字城」とも呼ばれます。

明治時代になると城はほとんど壊され埋め立てられてしまいますが、二ノ丸の堀は現存しています。

現在は、江戸城の城門に匹敵する巨大な「二ノ丸東大手門」や「本丸一文字門(石垣・大手橋・高麗門こうらいもん枡形土塀ますがたどべい)」が復元され、かつての姿を取り戻しつつあります。


二本松城

[にほんまつじょう]

所在地:福島県二本松市郭内3丁目
築城年:応永21年(1414年)


出典:Wikipedia

幕末の戊辰戦争ぼしんせんそうで落城し、二本松少年隊の悲話が残るお城です。

標高345mの「白旗ヶ峰」に築城された建物はすべて焼失して廃城処分となり、建造物はすべて取り壊されました。

現在、山麓には居館があり「二階櫓」「多聞櫓」「箕輪門」が復元されています。

迫力のある高い石垣、櫓から張り出した「石落とし」や「狭間はざま」と呼ばれる弓矢や鉄砲で攻撃するための塀に空いた無数の穴など、侵入しようとする敵を攻撃するために堅固な造りになっています。

さらに山頂には本丸が復元され、本丸石垣や天守台が整備されています。

最も古い石垣のひとつである本丸直下大石垣は、安土城の石垣を積んだ高度な技術を誇った石工の集団「穴太衆あのうしゅう」によって積まれたもので、平成になり崩壊を防ぐために同じ集団の末裔によって再建されました。

歴史の面影が残る二本松城は「菊人形まつり」の会場となっており、毎年10月になると会場を埋め尽くすほどの鮮やかな菊の花が咲き誇ります。


会津若松城

[あいづわかまつじょう]

所在地:福島県会津若松市追手町1-1
築城年:至徳元年(1384年)


出典:Wikipedia

築城から620年余りの間、会津藩主によって治められ、戊辰戦争では激しい攻防戦に1ヶ月以上も耐えた名城です。

別名「鶴ヶ城」とも呼ばれ、後世に残る白虎隊や新選組のエピソードが生まれた激動の時代の中心にあったお城で、大河ドラマの舞台にもなりました。

明治7年(1874年)に取り壊されましたが、現在は復元が進み幕末当時の姿が再現されています。

白い壁や全国でも稀な寒さに強い赤い瓦の天守が特徴的で、天守の頂点には目にダイヤモンドがはめられた銀色の一対のしゃちほこが飾られています。

敵の侵入を防ぐ要となる「南走長屋みなみはしりながや」や城内で一番規模が大きく食糧庫であった「干飯櫓ほしいやぐら」も江戸時代の技術を用いて復元され、会津の歴史に触れることができます。


白河小峰城

[しらかわこみねじょう]

所在地:福島県白河市郭内
築城年:興国元年[南朝]/暦応3年[北朝](1340年)


出典:Wikipedia

白と黒のコントラストが美しい気品のある総石垣造りのお城です。

寛政の改革で知られる松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城としました。

ほとんどの建物が戊辰戦争の白河口の戦いで焼失しましたが、三重櫓と前御門は江戸時代の絵図に基づき木造で忠実に復元されました。

三重櫓の復元には白河口の戦いの激戦地であった杉並稲荷山の杉が使われ、柱、床板、腰板などから当時の弾痕の痕跡を見ることができます。

それぞれの階の半分に耐久性が高いとされる黒塗りの板を張った「下見板張したみいたばり」の外観が特徴的です。

「打込ハギ乱積み」「打込ハギ布積み」「切込ハギ布積み」「落し積み」など、さまざまな積み方の美しい石垣も見応えがあります。


まとめ

東北にはいくつものお城が築かれ、多くの大名がその地を治めてきました。現在は人々に愛され、四季折々の風景が楽しめる憩いの場にもなっています。

焼失したお城も多いですが、刻まれた歴史の痕跡にふれて、当時を想像しながらお城をめぐるのもおすすめです。


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