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【矢吹紫帆】比叡山延暦寺創建1200年祭分灯会にて演奏!ヒーリングミュージックの先駆け[インタビュー]

 2020/11/06 ワコラボ
 
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ピアノが自然に入ってきた

−−ご自身の生い立ち、音楽との出会いなどをおうかがいできますか?

岡山に生まれ育ったんですが、家にはステレオもなく音楽には程遠い環境で過ごしていました。近所には映画館があり、加山雄三、園まり、村田英雄なんかの歌謡曲や演歌がかかっていて(笑)、幼少はそんな音楽しか聴いたことがありませんでした。

5歳になったある日、母親に連れられて行った魚屋の前の家から琴の音色が聴こえてきて、その時に私は座り込んで母に「ピアノを習わせて欲しい」と言ったらしいんです。

両親は本物のピアノなんて大変だろうと私におもちゃのピアノを与えてくれたんですが、すぐ飽きてしまい、本格的なクラッシックピアノを習わせてもらったんです。そのレッスンを受ける中で私はクラッシックピアノの楽譜を見て練習する一方で即興演奏を楽しんでいました。

同じようにレッスンを受けていた友達も即興をしているんだとずっと思っていたけど、ある時、そうではない事を友達から知らされて、すごくカルチャーショックを受けたんです。


−−普段ライブなどでプレーされる即興演奏は、どのようにおこなわれるのでしょうか?

お客さんに言葉をいただいて、そのキーワードをもとに即興をします。落語の「お題頂戴」みたいな感じで。例えば「『嫁』と『姑』で」とお題をいただいたら「嫁と姑がケンカをしていて、最後には仲良くなる」みたいな情景を音楽で演奏して(笑)。

即興って、普通はリスクが高いのでライブではあまりやらない傾向かと思いますが、私は逆に即興で演奏するほうが楽なんです。だから即興演奏をしている時は、私はメロディーなんて全然考えずにお題の情景を頭の中で映像にしてイメージだけを作っているんです。


自分が作るべきものを求めて

−−幼少からピアノを始め、その後どのような音楽遍歴を辿られたのでしょうか?

大学進学時を考えていた頃には岡山大学を受けるつもりだったんですが、数学が苦手で行きたくなくなって、受験当日に断念したんです(笑)。その後父親から、滋賀大学の教育学部がピアノを試験項目として受験生を募集しているのを勧められ、受験しました。

すると実技でトップ成績になり入学、滋賀県の学校に行くことに。その経緯から一度は滋賀で結婚、主婦をしながらエレクトーンやピアノのアルバイトなんかをしていました。

そしてある時バンドを組まないかという話があり、それにのめり込んでしまったんです。

ある日ライブハウスから帰ってきた時にダンナの怒りが爆発して(笑)、「音楽か家庭か、どちらかにしろ」と決断を迫られました。それで私は吹っ切れて「死ぬ前に、もう一度音楽家になる夢に賭けたい」と家を飛び出したんです。

そして京都の祇園で雇ってもらう店を探しホストクラブで採用され、そこで7年くらい仕事をしていました。でも「場末のバーのピアノ弾きで終わってはダメだ」とそこを辞め、友達とカレー屋を始めた後に一人でニューヨークに行ったんです(笑)。

自分の求める音楽というものが、そこに行ったら分かるのではないかと思って。でも現地のミュージシャンたちが命がけで演奏をしている姿を見て、このマネでは自分の求めるものは得られないと気が付きました。


−−ご自身の音楽に悩まれたことがうかがえます。その転機はどのように迎えたのでしょうか?

結局何の答えも出ないまま日本に戻って、一人の三味線奏者と出会った時です。そのころ私は電気楽器が嫌いでしたが、一台だけシンセサイザーを使っていたので、琴のバッキングが欲しいと声をかけてくれたんです。で、道成寺でその方が地唄を歌う際のサポートを担当していました。

その時に気づいたんですが、演奏のスタートで今までのバンドだったら「ワン、ツー、スリー、フォー!」というカウント出しをおこなうところを、その方は「よーい!」って(笑)。その言葉から「日本人だから、日本語でしゃべる自分のオリジナルを作らなければいけない」と閃いたんです。遠回りをして、ようやく求めるものにたどり着いた感じでした。



ご自身の考える音楽

−−矢吹さんの作品からはヒーリングミュージック的な要素を強く感じますが、それはご自身でも意識されている点でしょうか?

そうですね。例えば今日ガンの宣告を受けたような人、悩んでいる人に私の話を聞いてもらい、元気になってもらえればと思っています。そういったメッセージを伝えているんです、「あなたの中にパワーがある」って。私はそのことに気が付いてからは、パワーが全開になり今を幸せに暮らせるようになったから、そのことを伝えたいと思っています。

若い時はとにかくテクニックを見せてお客さんを驚かせる、という感じでしたが、今は聴いてそういったことを感じていただくことに意義を感じています。先日うちの民泊にいらしてくださったお客さんが、私の演奏にみな涙して喜ばれていたんです。そんな風に喜んでいただくことが、私の喜びになっています。


−−音楽を作ることで特に留意されていることはありますか?

ヒーリングミュージックって、結構白玉系の音楽(全音符的に音を伸ばす、シンプルな形式のイメージ)という印象が強いけど、私はそういった傾向にばかりせず曲としても成立し、かつヒーリング的な要素があるものを作るべきと考えています。

ヒーリング的な要素を作る点では、手で弾くことでゆらぎを生じさせることを意識しています。私の作曲は楽譜にメロディーとコードを書いているくらいでアレンジは頭の中でおこない、録音をする時には、弾いたものをそのままPCに覚えさせて、という感じでやっているんです。

例えば8分音符を打ち込むと、その音は正確な音の長さで表現されるわけですが、人間が弾くと音の長さのパラメーターに表れない微妙なズレが発生し、そこにゆらぎを生じるわけです。



拠点、紀伊半島・波田須町

−−(zoomの画面より矢吹さんの家からの景観を見て)お住まいからの景色が非常に素晴らしいですね。

ここに移ってきた時は本当にひどい状態でした。私たちは資金がなくボロボロの場所をリフォームするしかないと思って越してきたんですが、反面この景色は私たちにとって大きなご褒美でした。

私はもともとインスピレーションの湧く場所を探して全国を旅し、ここにたどり着いた時に「この大自然の中で作曲したい!」と思いました。都会の方は来られるとすごく元気になるし、ここにはやっぱりパワーがあると思うんです。

ここは紀伊半島の僻地にある波田須町というところで、引っ越してきた時には寂しい場所でしたが、今はアニメ『凪のあすから』のモデルにもなって、若者たちの憧れの町になったんです。天女座に来た若者が、コスプレしてこの田舎町を歩いていたりとか、結構シュールなところも見られたり(笑)。


−−この場に来られたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

25年くらい前だったでしょうか、「10万人とふれあうコンサート」というツアーで全国700か所くらいを回ったんですが、その後の2000年ころに友達から「もう歳だし、そろそろ自分たちの場所を作ったら?」と言われたんです。

それまで予算がなくてなかなか一歩が踏み出せなかったんですが、大学時代からこの辺のことをふと思い出し、紀伊半島を一周していく中でここに出会いました。


−−その行動の根源はどのようなものだったのでしょうか。

以前は京都に23年ほど住んでいたんですが、その時に「観音修行をしなさい」みたいな夢を見たんです(笑)。それがあまりにリアルだったので、ダンナに話して観音修行の相談をしたら、その目の先に「西国三十三所 観音礼所巡り」の本が目に入り、その本の最初にあった那智山の青岸渡寺に行ったんです。

また私が比叡山1200年祭でデビューして、それが天台宗だったんですが、たまたま青岸渡寺が天台宗だったためにお坊様が「あ、矢吹さんですね。知ってます」とおっしゃっていただいたり。そんな経緯で続いた「10万人コンサート」なんかも、夢の意味としてはつまり観音修行だったと思うんです。そしてここにたどり着く前の霊場巡りをするという意味だったのでは、と。



▲くまの天女座「絶景カフェ」


人に向けて演奏していきたい

−−矢吹さんは、現在は波田須町で民泊を経営されながら音楽活動を続けられていますが、今後のご予定はいかがでしょう?

アルバムはマナーズサウンドの新しい音源が最近出たばかりなので、しばらく作る予定はありませんが、新しいものに出会って何か閃きがあれば、次のことを考えるかもしれません。

今はコロナ感染拡大の影響で制限も多くで難しいですが、とにかくコンサートは楽しいしツアーをするのも大好きなので、もっと出かけたいと思っています。ツアーにはスタッフとして達人のおっちゃんがいるんですが(笑)運転が大好きで、三人でバーッと出かけるのが楽しいし、いつでも行ける状態にしているんです。


−−矢吹さんの作品は、結構海外でも聴かれていますね。

確かに。デビューアルバムなんて、今頃スウェーデンやらカリフォルニアから出したいとか…何故なんでしょう?今のを聴いて欲しいんですが(笑)。海外からも呼んでいただけるのであれば、是非行きたいですね。

タイのエイズ患者さんの死の病棟にて、死を目前にしている方のためにそばで演奏をし、終わったらその方が起き上がって拍手いただいた、というような感動の場面に遭遇したこともあり、そんな経験をこれからもしていきたいし、やっぱりコンサートは積極的におこないたいと思っています。




▲天空のさざ波



▲ヤマト人への手紙


矢吹紫帆

[Shiho Yabuki]

シンセサイザー、ピアノ、クリスタルボウル

岡山件生まれ。5歳よりクラシックピアノを学ぶ。
比叡山延暦寺創建1200年祭分灯会においてデビュー。カネボウ美容研究所の依頼で「ゆらぎシリーズ」のCD音楽担当。癒しの音楽の先駆けとなる。
アルバム「SHIHO」全米発売、カナダでニューエージ部門で人気第2位。
NHK美術紀行番組「美の回廊をゆく」「韓国国宝の旅」などの音楽担当、滋賀県ブルーレイク賞受賞、三重県文化奨励賞受賞
三重県熊野市波田須町に移住、海一望のカフェとホール「天女座」主宰
フランス、スコットランド、イタリア、イスラエル、韓国など海外と国内で500箇所以上で「100万人とふれあうコンサート」を行う。観客からのお題を頂いての即興演奏は、海外でも高く評価されている。
クリスタルボウルサウンドヒーラー資格取得 マジシャンの顔も持っている。

[天女座オフィシャルサイト]
https://www.tennyoza.net/

[矢吹紫帆YouTubeチャンネル]
https://www.youtube.com/channel/UC6_jO5dfVsUhTyPSnZoDMcw

[Holos Music]
http://worldcore.jp/holosmusic/discography

[Holos Music YouTubeチャンネル]
https://www.youtube.com/channel/UC-Y69Npy2qtdMa4zbx7cwZA


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桂 伸也

桂 伸也

“和”という言葉で表現されるものには、人によって色んなイメージがあると思いますが、私は“整然として落ち着いたもの”という雰囲気を感じ取っています。

普段は芸能系ライターとして活動を行っており、かなり“にぎやかな”世界に生きていますが、その意味で“和”という言葉から受ける雰囲気に、普段から強い憧れや興味をもっていました。

なので、そんな素敵な“和”の世界へ、執筆を通して自らの船を漕ぎ出していきたいと思っています。

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