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【平泉】地上に浄土を表す建築と庭園! 世界遺産「平泉」構成五資産

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世界遺産・平泉とは

世界遺産の平泉は岩手県西磐井郡平泉町にあり『平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-』という名称で登録されています。

構成資産は「中尊寺ちゅうそんじ」「毛越寺もうつうじ」「観自在王院跡かんじざいおういんあと」「無量光院跡むりょうこういんあと」「金鶏山きんけいざん」の5つで、世界遺産を証明する登録基準のうち「文化遺産」「自然遺産」2つの基準を満たす「複合遺産」に分類されます。

平泉は東北地方を治めていた奥州藤原氏初代当主である藤原清衡ふじわらのきよひらの「平和な世の中をつくりたい」という願いから、子の基衡もとひら、孫の秀衡ひでひらの三代に渡って築き上げられました。

平安時代末期は戦乱が続いたことで末法思想まっぽうしそうが広がり、平和を願う人々の間に浄土思想じょうどしそうが浸透していきます。

そんな中、戦のない理想の世界である仏国土(浄土)を創り出そうと造られたのが平泉に残る寺院や庭園です。

水陸交通の要衝地ようしょうちであった平泉では、大量の金の産出と交易による大きな利益があり、豊かな財力が荘厳な理想の世界の実現を可能にしました。

寺院や庭園は海外からの影響を受けつつ日本で独自の発展を遂げ、平泉の浄土思想に基づいた仏国土(浄土)の空間的な表現は他に例のないものとして評価されています。


中尊寺

中尊寺は天台宗東北大本山の寺院で、慈覚大師円仁じかくだいしえんにんによって開山されたといわれています。

奥州藤原氏ゆかりの寺として知られ、戦乱の犠牲者たちを敵味方の区別なく浄土へ導き、争いのない平和な理想の世界を創るために初代清衡によって建立されました。

3,000点以上の宝物が国宝・重要文化財の指定を受け、東日本随一の平安仏教美術の宝庫と称されています。

特に有名なのは、中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物、国宝建造物第1号の金色堂。

金箔や螺鈿らでんによって贅沢に装飾された金色に輝く阿弥陀堂あみだどうで、マルコ・ポーロの「東方見聞録」に登場する黄金の国ジパングのイメージのもとになったという説もあるそうです。

須弥壇しゅみだんの中には奥州藤原氏の歴代当主である清衡、基衡、秀衡のミイラと泰衡やすひらの首が安置されています。


毛越寺

毛越寺は天台宗の寺院で、境内は「毛越寺境内 附 鎮守社跡もうつうじけいだいつけたりちんじゅあと」として国の特別史跡、庭園は「毛越寺庭園」として特別名勝とくべつめいしょうの二重指定を受けていています。

中尊寺と同年に慈覚大師円仁によって開山され、基衡が建立に着手、秀衡が完成させました。

本堂にあたる金堂円隆寺こんどうえんりゅうじをはじめ堂塔は「吾朝無双わがちょうむそう(我が国に並ぶものがない)」といわれるほど立派なものだったそうです。

しかし、相次ぐ火災で焼失し当時の建物は残っていません。

現在は平安時代の伽藍遺構がらんいこうと大泉が池を中心とした美しい浄土庭園がぼほ完全な状態で保存されています。

庭園には池に水を引き入れる遣水やりみずがあり、平安時代の遺構としては最大規模で日本唯一のものだそうです。

毎年1月20日は、境内にある常行堂じょうぎょうどうで重要無形民俗文化財に指定されている「延年の舞」が奉納されます。


観自在王院跡

観自在王院跡は、基衡の妻が建立したといわれる毛越寺の東隣にある寺院跡です。

境内の跡は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」として国の特別史跡、庭園は「旧観自在王院庭園」として国の名勝に指定されています。

平安時代の「作庭記さくていき」の作法どおりに作られたといわれる舞鶴が池を中心に浄土庭園の遺構が広がり、境内の背後には金鶏山が位置しています。

観自在王院は阿弥陀堂で大阿弥陀堂と小阿弥陀堂がありました。

建物は失われ荒廃し水田と化してしまいましたが、現在は発掘調査の成果に基づいて修復や整備が行われ境内全体が史跡公園となっています。


無量光院跡

無量光院は、秀衡が建立したといわれる寺院跡です。

歴史書の「吾妻鏡あづまかがみ」によると新御堂(毛越寺の新院の意味)と呼ばれた本堂は平等院鳳凰堂を模してひと回り大きく造られたと記されています。

ご本尊は阿弥陀如来でこれも平等院鳳凰堂と同じですが、中堂前に瓦が敷いてある事と、池に中島がある点が異なります。

建物全体は東向きに作られ、敷地の西に金鶏山が見えるように作られています。

庭園から見ると夕日が金鶏山に沈んでいくように設計されており、浄土思想を体現していました。

現在は土塁や礎石、池の跡が残るのみとなっています。

1952年に行われた発掘調査によって本堂や庭園の規模、配置が明らかになり「吾妻鏡」の記述が裏付けられました。


金鶏山

金鶏山は、中尊寺と毛越寺のほとんど中間に位置する平泉のまちづくりの基準となった山です。

金鶏山という名前の由来は、山頂に雌雄一対の黄金の鶏を埋めたという伝説ちなむといわれています。

その伝説を信じた盗掘者が1930年に頂上を掘ったところ、銅製の経筒きょうづつや陶器の壺、かめなどが掘り出され、経塚きょうづかであったことがわかりました。

ほかにも、秀衡が北上川まで人夫にんぷを並べ、一夜で築いた山という伝説も残っています。

松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも登場し「秀衡が跡は田野となりて、金鶏山のみ形をのこす」と記されています。

ふもとには、奥州藤原氏三代の位牌いはいと秀衡の木像が安置されている千手堂や、源義経の妻子の墓と伝えられる五輪塔、花立廃寺跡(特別史跡)などがあります。


まとめ

平泉に造られた寺院や庭園には、切なる願いが込められていました。

奥州藤原氏の滅亡後、ほとんどの建物は度重なる戦火などで焼失し遺跡となりましたが、数々の歴史を刻んだ遺産は良好に保存され、当時の栄華をしのぶことができます。

 


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