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【日光東照宮】見ざる言わざる聞かざるの「三猿」!「眠り猫」に込められたメッセージとは?意味と由来を探る!

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日光東照宮とは

15世紀末から続いた戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府の初代征夷大将軍となった徳川家康を祀る為に建立されたのが、この『日光東照宮』です。

江戸幕府の公式文書によると、自らの死期を悟った家康は、「自身の亡骸は駿河国(現在の静岡県)の久能山へ葬り、(中略)一周忌が過ぎた後に日光山に小さな堂を建てて分祀し、神として祀ること」との遺言を遺したと記録されています。
1616年に家康が亡くなると遺言は忠実に執行され、死後1年余りで家康の御霊は下野国日光(現在の栃木県)に遷され、荘厳な『日光東照宮』で永遠の眠りにつきました。

1636年に徳川三代将軍家光によって造替された現存の社殿群は、自然の地形を生かした参道や階段を用いることで神聖な空間をつくりだしています。さらに、きらびやかな装飾や彩色の施された建物、そして平和へのメッセージと人生の教訓を記す数々の彫刻に、訪れる人々は心を奪われます。

特に本殿の前に設けられている『陽明門』は、その大きさと光り輝く風貌、そしておびただしい数の彫刻が施された圧巻の建築物で、1951年に国宝に指定されました。豪華絢爛な『陽明門』は、一日中見ていても飽きないとして『日暮門(ひぐらしのもん)』という別名でも親しまれています。


見ざる言わざる聞かざるの『三猿』


日光東照宮の社殿群には、5,173作品にも及ぶ彫刻が施されています。そんな数ある彫刻の中でも最も有名なのは、言わずと知れた「見ざる言わざる聞かざる」の『三猿(さんざる・さんえん)』でしょう。

三匹の猿たちは、日光東照宮の表門をくぐって左手に見える『新厩舎(しんきゅうしゃ)』と呼ばれる馬小屋の屋根の下で神馬(しんめ)を守っています。

猿は馬を守るという思想は、インドから中国を経て日本に伝えられたと考えられていて、『厩猿信仰(うまやざるしんこう)』と呼ばれます。『三猿』の正確な製作年は不明とされていますが、神厩舎の竣工に伴い製作されたとすれば1636年の作品と考えるのが自然です。ですから、17世紀には武士たちの間で『厩猿信仰』が浸透していたという事実が伺えます。

『三猿』は、横幅142cm、高さ44cmと決して大きくはないパネルに施されています。猿たちは向かって右から「目を手で覆っている猿」「口を塞いでいる猿」「耳を塞いでいる猿」の三匹。

「見ざる言わざる聞かざるの『三猿』」と称され、世界中の人々から愛されています。

『三猿』は、「影響を受けやすい幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えで、転じて「他人の欠点や過ち、自分にとって不都合なことは見たり言ったり聞いたりしない方がいい」という人生の学びを伝えているとも言えます。

日光東照宮の『三猿』の彫刻は、経年による老朽化や極彩色が剥げ落ちてきたことに伴い、2016年から修繕作業を行なってきました。2017年3月にようやく全作業が終了して、現在では創建当初を彷彿とさせる「光り輝く極彩色の『三猿』」を目にすることができます。


神厩舎にある8枚の猿彫刻


日光東照宮の神馬を守っているのは『三猿』だけではありません。『神厩舎』には、全部で8枚の猿の彫刻が施されたパネルが取り付けられていて、『三猿』の彫刻はこのうちの1枚です。日光東照宮の8枚の猿の彫刻は、力を合わせて神馬を守るだけでなく、猿の一生に例えて、人としての正しい生き方を我々に示していると言われています。

8枚の猿の彫刻は、赤ん坊期からその猿が成長して自らの子を宿すまでを8つのライフステージとして、次のように描いています。

1・赤ん坊時代

子猿は親猿を心の拠り所として、親猿を熱い眼差しで見つめ、親猿の目線の先には「ビワの実」と「たなびく雲」があることから、子猿の明るい未来を望んでいる場面とされます。

2・幼少期(『三猿』)

「小さい頃は好奇心が強いものだが、悪事を見たり、言ったり、聞いたりせずに、良い事だけを受け入れ、素直な心で育っていくように」という意味が彫刻に込められているとされます。

3・少年期

パネルの端の方に描かれた一匹の猿は、孤独に絶えつつこれからの人生(将来)を考えている自立前の様子とされます。

4・青年期

天を仰ぐ二匹の猿たちは、希望をもって上を見上げている青年期の猿を描いたいものとされ、「青雲の志(将来、立派な人物になろうとする大きな志のこと)」を抱いた若い猿と解釈されています。

5・岐路〜仕事で悩む〜

三匹描かれている猿のうち、下を見ている一匹の猿は挫折を味わっているとされ、その他の二匹は落ち込んでいる仲間を励ましている様子とされます。

6・物思い〜恋に悩む〜

恋愛や結婚に悩む二匹の猿を描いています。一方は結婚の意思を固めた猿で、もう一方は結婚するか否かを決められずに悩んでいる猿だとされます。

7・結婚

夫婦になった二匹の猿たちが描かれていて、「ふたりで力を合わせれば、人生の荒波も乗り越えられる」ことを表現しているとされます。

8・妊娠

子宝に恵まれ、妊娠を経て親になる猿を描いているとされ、永遠に命が受け継がれていく様子を表しているとされます。

仕事に悩んだり、恋に悩んだり、この猿たちが創り出された時代にも、人々は今と同じようなことに思い悩んだのかと思うと、彫刻の猿たちが身近に感じられるのではないでしょうか。


回廊の出入り口にある『眠り猫』


日光東照宮の彫刻の中でも、『三猿』と並んで有名なのは江戸初期の作品とされる『眠り猫』です。

家康が祀られる奥宮への参道手前で、墓所を護るように座る猫の彫刻は、伝説の彫刻家と称される左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品とされています。

この国宝『眠り猫』には、次のような逸話がまことしやかに語られています。

[1]
伝説の名工である左甚五郎の作品は、あまりにも立派で「魂が宿る」と噂され、『眠り猫』として描かれた猫は、夜な夜な抜け出しては悪さをしたため、甚五郎が眼を塞ぎ『眠り猫』にした。

[2]
『眠り猫』は、実は眠っておらず、薄眼を開けて家康を警護している。

[3]
『眠り猫』のモデルは家康で、ここぞという時には一気に攻撃をしかけて成功を手中に収めてきた家康の人生に、平和なときには眠っているが、常に薄眼を開けて眠ったふりをしながら、世の中の様子を伺っているという猫の姿を重ねている。

このようにさまざまな逸話で彩られた『眠り猫』の彫刻は、東回廊奥の坂下門に据えられています。縦15cm、横20cmと非常に小さな作品で、「うっかり見落としてしまった」と落胆する観光客も少なくないのだとか。

『眠り猫』の彫刻の裏側には、こちらも色鮮やかな雀の彫刻が据えられています。

これは警戒心の強い猫すらも安心して眠りに付ける世の中の到来を表しており、「猫が眠りに付くほど、徳川幕府(江戸幕府)の時代が平和であり、この平和が末永く続いてほしい」という願いも込められていると言われています。


まとめ

2017年に、およそ4年にも及ぶ保存修理工事が終わった『陽明門』をはじめ、数々の建造物や工芸品などが『平成の大修理』の対象となり、新たな輝きを見せています。

パワースポットとしても人気の『日光東照宮』に是非足を運んでみてください。


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井筒屋

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