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【現存天守】国宝5城と重要文化財7城をみる!国宝と重要文化財の違い

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国宝と重要文化財の違い

昭和25年5月30日に制定された「文化財保護法」は文化財の保護と保存、国民の文化的な向上を目指すものとした法律です。

歴史的価値のある建造物や美術工芸品の「有形文化財」と演劇や音楽、工芸技術の「無形文化財」、伝統的に受け継がれてきた文化慣習などの「民俗文化財」に遺跡や保護すべき動物や自然などの「記念物」、土地に埋蔵された文化財の「埋蔵文化財」、その地域の生活や風土によって形成された「文化的景観」に歴史的価値のある街並みが現存している場所の「伝統的建造物群」と文化財を守る技術などの「文化財の保存技術」の合計8個のカテゴリーがあり、この中で「有形文化財」となった物の中で国が指定して保存する物を「重要文化財」と呼び所有者や自治体が文化財を国に申請して登録する「登録有形文化財」と呼びます。

「国宝」はこの「重要文化財」の中でも「特に価値の高い唯一無二の文化財」を国が指定して登録したもので、国宝とは有形文化財の中から選ばれた一部の貴重な物を指します。

重要文化財と国宝の違いは国が指定した有形文化財の中でも「貴重な物」と「特に貴重な物」というカテゴリーの違いで、そこに歴史的な付加価値が多いに関係しているのです。

国宝5城

松本城

[まつもとじょう]

所在地:長野県松本市丸の内4-1
築城年:永正元年(1504年)


出典:Wikipedia

「からす城」の愛称で呼ばれる漆黒しっこくの松本城は、安土桃山時代から江戸初期にかけて築城されたお城です。

国宝や重要文化財に指定された12のお城の中で五重天守が見られる2城のうちの1城で、お城の背後にそびえる北アルプスの山々を借景しゃっけいとしたお堀との景色は四季折々の絶景を楽しめます。

戦国時代末期に作られたこの城の天守閣は戦闘に特化した構造で、外見では5階構造ですが内部は6階構造になってたり随所ずいしょに鉄砲での戦闘に備えた構造になっています。

さらに平和な江戸時代になってから造られた月見櫓つきみやぐらは戦闘の装備はなく名前の通り月見を楽しむための優美で雅やかな造りで時代の変遷へんせんを体感する事ができますよ。


 関連記事 >>【松本城】天守は国宝に指定!構造の特徴に築城の時期。6家23代の歴代城主をご紹介


犬山城

[いぬやまじょう]

所在地:愛知県犬山市犬山北古券65-2
築城年:天文6年(1537年)


出典:Wikipedia
日本最古の木造天守を持つ犬山城は織田信長の叔父織田信康によって木曽川沿いの丘の上に建てられた「後堅固うしろけんごの城」として織田家を始め豊臣家や徳川家に所縁のある武将が次々と治め、江戸時代に入ると尾張藩の家老の成瀬家が代々城主を務め守ってきました。

明治に入ってからの廃藩置県によって犬山城は愛知県所有となり天守以外の構造物は取り壊され現存している城郭はほとんどありません。もともとが城と街が一体化した総構えの構造であったことから、現在の天守閣から望む城下町に当時の面影を見る事ができます。

戦国時代に建てられたどこか無骨な雰囲気を漂わせる犬山城は、天守閣のあちらこちらに攻められた時の設備が残っているのも特徴です。

彦根城

[ひこねじょう]

所在地:滋賀県彦根市金亀町1-1
築城年:慶長9年(1604年)


出典:Wikipedia

関ヶ原の戦いの後に徳川家康の命によって徳川四天王の一人井伊直政が敵軍の大将だった石田三成の居城だった佐和山城へ入りますが、城の雰囲気や造りを嫌って彦根山に城を作りました。

そんな彦根城は明治11年10月に明治天皇が彦根城をご覧になりこの城を残すように大命を下したことで残りました。

彦根城には登り石垣と呼ばれる手法で建てられた3階3重に天守と櫓と、さまざまな様式の屋根があり白壁と変化に富んだ屋根が彦根の象徴として美しい姿はまさに国宝にふさわしいたたずまい。さらに太鼓門たいこもんや馬屋など彦根城に付随し現存する城郭じょうかくは重要文化財に指定され、城の麓にある「玄宮園げんきゅうえん」は広大な池と飛島を繋ぐ橋が架かる回遊庭園は国の名勝に指定されています。

姫路城

[ひめじじょう]

所在地:兵庫県姫路市本町68
築城年:[姫山の砦] 元弘3年(1333年)
築城年:[
天守完成] 元和3年(1617年)


出典:Wikipedia

白鷺しらさぎ城とも呼ばれる優美で純白の城は南北朝時代に築かれた「姫山のとりでが始まりで、その後は西国の重要拠点として武将たちが増築を繰り返し現在の外観5重で内部は地上6階と地下1階の連立式天守閣が出来上がったのが元和3年(1617年)の頃になります。

姫路城は昭和と平成の2回大改修を行い現在の白く美しく優美な姿を保っており、その純白に輝く城は平成5年12月に世界的に他に類を見ない優れた文化と歴史と技術の詰まった木造建築物としてユネスコの世界遺産に登録されました。

築城から数百年の歴史を誇る姫路城は宮本武蔵の妖怪退治や番町皿屋敷、お夏と清十郎などの伝説の舞台とされる場所が数多くあり、名城の歴史が感じられます。

 関連記事 >>【姫路城】優美で城郭建築を代表する建造物! 別名「白鷺城」。世界遺産に登録、特徴や歴史をご紹介

松江城

[まつえじょう]

所在地:島根県松江市殿町1-5
築城年:慶長16年(1611年)


出典:Wikipedia

松江城は明治の頃に多くの城郭じょうかくが壊されましたが、昭和35年から壊された城の復元工事が始まり平成13年に完成。平成27年7月8日に正式に国宝になった松江城は外観は4重の内部は5階と地下1階と附櫓つけやぐらがある360°の望楼ぼうろう型天守となっており、松江の城下町と日本百景の宍道湖を望めます。

大きな特徴として木彫では日本最大になる銅張のしゃちほこと、一枚ずつ表情の違う屋根の鬼瓦、石落としや下見板張りとよばれる黒く落ち着いた雰囲気がただよう古い様式の壁など、戦国時代の要塞としての側面と当時の文化的な意匠などが多く残されています。

松江城から城下町まで堀川に沿って遊覧できる「堀川めぐり」が観光におすすめですよ。

重要文化財7城

弘前城

[ひろさきじょう]

所在地:青森県弘前市下白銀町1
築城年:慶長16年(1611年)


出典:Wikipedia

もともとは「鷹岡城」という名前のお城で5層の天守でしたが、築城から16年後に落雷によって天守が炎上しさらに火薬庫に引火した事で大爆発を起こして焼失してしまいます。

翌年に弘前へと改名しましたが文化7年(1810年)に9代目藩主が幕府に天守の再建を願い出るまで約200年ほど天守がないお城でした。

現在の3層3階の天守に再建され、寒冷地のため白漆喰塗籠しろしっくいそうぬりこめの外壁と銅瓦を葺いているのが特徴で、城下の仲町は重要伝統的建造物群保存地区として江戸時代の面影をや史跡を多く残しています。

弘前城は桜の名所として有名ですがその他にも夏の弘前ねぷた祭りや秋の菊と紅葉、冬には幻想的な雪燈籠まつりが開催され、四季折々の景観を楽しめるお城です。

丸岡城

[まるおかじょう]

所在地:福井県坂井市丸岡町霞町1-59
築城年:天正4年(1576年)


出典:Wikipedia

安土桃山時代に造られたとされる天守は約6000枚の笏谷石しゃくだにいしの瓦がかれた現存する日本最古のもので、昭和23年に起きた福井地震によって倒壊してしまいました。

その後昭和30年にもともとの倒壊した天守閣の材料をそのまま使い復元し、現在は天守の周辺を丸岡城の別名を取った「霞ヶ城公園」として桜の名所として春には名前の通り霞むような満開の桜の幻想的な景色を堪能できますよ。

この丸岡城の入り口の階段脇には福井地震で落ちた笏谷石のしゃちほこが保管され、その独特の愛嬌のある顔は必見の価値あり。

戦国時代の要塞としての面影を多く残した天守閣は望楼型なので眼下に広がる坂井市の街並みを一望する事ができます。

備中松山城

[びっちゅうまつやまじょう]

所在地:岡山県高梁市内山下1
築城年:1240年


出典:Wikipedia

現存する天守の中でもっとも標高が高い場所にある備中松山城は、山陰と山陽の境目にある標高約430mある大松山(臥牛山がぎゅうざん)の頂上付近に建っています。

その立地から東西の主要街道として多くの戦に巻き込まれ、堅牢な山城は難攻不落の要塞としてあり続けました。

この城の基礎は鎌倉時代の1240年に建てられ、1681年から1683年かけて二代目藩主となった水谷勝宗みずのやかつむねが大修築を行い現在の2層2階の天守を含め城の形ができあがりました。

平成6年から本丸の復元が始まり、現在は江戸時代当時の本丸を見る事ができ、さらに9月下旬から4月上旬にかけて気象条件がそろうと早朝に備中松山城展望台から雲海の朝霧に浮かぶ幻想的な天空の城を見る事ができます。

丸亀城

[まるかめじょう]

所在地:香川県丸亀市一番丁
築城年:慶長2年(1597年)
再築年:正保2年(1645年)


出典:Wikipedia

丸亀市の南にある亀山という小高い丘の上にほぼ四角形の形に造られた丸亀城は、城郭と武家屋敷を含む城下町すべてを土塁で囲んだ総構の渦郭式かかくしき平山城です。

内堀から続く「扇の勾配」と呼ばれる緩やかな曲線の石垣の先に3層3階の江戸時代に建てられた木造天守の白く美しい姿を望めます。

丸亀城は元和元年(1615年)に発布された一国一城令により廃城となってしまいましたが、その後築城をした生駒家から城主となった山崎家が正保2年(1645年)丸亀城の再築の申請を行い、慶安2年(1649年)に修復が行われ後継者のいなかった山崎家に変わり城主となった京極家が32年の歳月をかけて改修工事を完了させ、当時の天守と追手門を現在に伝えています。

松山城

[まつやまじょう]

所在地:愛媛県松山市丸之内1
築城年:慶長8年(1603年)


出典:Wikipedia

松山市の中心部にある勝山の頂上に建てられた松山城は、現存している12の城の中で唯一残っている望楼型ぼうろうがた 二重櫓という構造をしているのが特徴です。これは天守の原型と言われている建物構造でもあり昭和25年に重要文化財に指定されたのち国の史跡として保護されています。

現在の天守は平成16年から平成18年にかけて大改修が行われた際にそれまで天守の屋根を飾っていた瓦素材のしゃちほこを81年ぶりに交換し、公募によって口を閉じたしゃちほこを「まつ姫」玉を咥えているしゃちほこを「天丸」と名付けられました。

松山城の重要文化財は天守を含む21棟の建造物が登録されており、松山城公園を散策するだけでも歴史に触れることができます。

宇和島城

[うわじまじょう]

所在地:愛媛県宇和島市丸之内1
築城年:慶長6年(1601年)


出典:Wikipedia

宇和島城は壮麗な築城当時の姿を留める貴重なお城で、3重3階の独立式層塔型の姿を美しいまま保ち、天守に続く南側の山道入り口にある宇和島市指定の文化財の「上り立ち門」と天守だけが現存する建造物となります。

この宇和島城は地上から見上げると四角形に見えますが、実は五角形という形で籠城戦となった場合に物資の搬入を秘密裏に行えるように設計されいます。

宇和島の海に面した小高い山の上にある天守は寛文6年(1666年)に老朽化した天守閣を2代目藩主「伊達宗利」が改修したもので、宇和島城の建造物として残った数少ない物。

石畳や石垣の階段が続く山道の先に広がる物寂しげな城址とぽつんと佇む白壁が美しくも侘しさを感じる天守です。

高知城

[こうちじょう]

所在地:高知県高知市丸ノ内1丁目2-1
築城年:慶長6年(1601年)
再建年:享保12年(1727年)


出典:Wikipedia

土佐南海の名城と名高い高知城は安土桃山時代の様式を残したお城です。天守以外にも築城当時の追手門や後に修復された黒鉄門に詰門などの遺構が残っており天守と御殿が重要文化財に指定されています。

この高知城は享保12年(1727年)に城下で起きた火事によって追手門以外の建物がほとんど焼失し、約25年ほどの月日をかけてほぼ全ての焼失した建物を再建。現在の独立式望楼型4重6階の天守は再建された当時の物になります。

幾度かの改修によって修復をされていますが、当時の姿をきちんと残している貴重な物で、天守と追手門が現存するのは高知城の他に弘前城と丸亀城のみで、天守、御殿、追手門の3つが現存するのはこの高知城のみなのです。

まとめ

かつて数万もあったというお城は国宝や重要文化財となる事で国や自治体、
お城を大切にする人々によって大切に守られながらかつての姿を今に伝えています。

貴重な歴史が刻まれた遺構の数々をじっくりと鑑賞してみてください。


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ぷぷこ

ぷぷこ

ひたすら日本文化と動物をこよなく愛する時代劇で育った歴史好き。

趣味で手に入れた着物や模造刀や和雑貨を愛でつつ、歴史書を紐解いて当時の風俗文化に思いを馳せる日々。

2000年以上の歴史の変遷を積み重ねてでき上がった日本文化の奥深さと日常に根付いたその魅力を伝え、少しでもその面白さを知って気軽に楽しんでもらえれば嬉しいなと思っています!

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