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【八朔】“はっさく” 果物じゃない!? 旧暦8月1日「八朔」の行事。お中元の由来にも

 2022/07/12 食物 習慣
 
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八朔の行事と歴史

まずは八朔の行事と歴史について知っておきましょう。

八朔とは「八月朔日(さくじつ)」の略で、旧暦の8月1日のこと。旧暦の8月1日は、現代の暦で言うと8月後半から9月中旬に当たります。ちょうど早稲が実り、稲刈りが本格化する、農家にとっては非常に大切な時期です。

無事に実りの時期を迎えられたことに感謝し、村の団結を強める目的で始まったのが、この八朔の行事なのです。

農村の祭であった八朔の行事は、鎌倉時代に入ると次第に武家や公家などでも行われるようになります。さらに江戸時代になると、幕府では正月と並ぶほどの重要な行事となりました。


田の実の節句

八朔の行事は、豊作を祈願することから「田の実(たのみ)の節句」と呼ばれることもあります。

田の実とは米のことで、古くから農村では人々の結びつきを強めるため、旧暦8月1日に収穫した米を贈りあう習慣がありました。

鎌倉時代に入り武家や公家が八朔の行事を行うようになると、贈り物は米に限らず、当時の貴重品であった紙や反物、馬などを目上の方に贈るようになっていきました。これがお中元の由来となったという説もあります。

米の意味だった「田の実」に、お世話になっている人=「頼み」にしている人という意味が加わり、贈り物をする相手との関係を強める行事として取り入れられたのです。


八朔御祝儀

「八朔御祝儀」は、江戸幕府の祝日の一つ。

1590(天正18)年の8月1日に徳川家康の江戸城入城があったことをきっかけに、八朔の行事が正月同様に大切にされるようになりました。

この日は涼やかな白帷子に長袴を身にまとった大名や旗本らが登城し、将軍に祝辞を述べました。(1838(天保9)年『東都歳事記』より)大奥の御台所や女中たちも、揃って白帷子を身に着けたと言います。

また江戸の吉原では、遊女たちも白無垢の小袖を着て八朔の日を迎える風習も生まれました。吉原中が白に染まった様子は、和歌に「八朔の雪」と詠まれたように、さぞ美しかったことでしょう。


夏のお正月

京都では現代でも八朔の行事の習慣が残っており、「夏のお正月」と呼ばれています。

8月1日の八朔の日には、午前10時から正午にかけて、芸伎や舞伎が黒紋付の留袖をまとい、京舞の家元や茶華道の師匠へ挨拶回りを行います。

この日、祇園では「おめでとうさんどす。これからもよろしゅうおたのもうします。」と京ことばが至る所で交わされます。芸伎さんや舞伎さんの艶やかな正装を観ることができるということで、毎年見物客も多い行事です。


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八朔の節句

八朔の節句は、五月の端午の節句と同じく、子どもの成長を祝う行事です。

福岡県の芦屋町では、初めて八朔の節句を迎える子どものため、男の子の家ではワラ馬を、女の子の家ではだんご雛(だごびーな)を作って座敷に飾る風習があります。

ワラ馬は自宅に飾った後近所の人に配りますが、博多では子どもの厄を分散させ、人に貰ってもらうという意味があったのだとか。つまり、八朔の節句は子どもの成長を祝福するためだけでなく、厄除けの行事としての役割もあったと言えますね。


農家の三大厄日

「八朔」と「二百十日(にひゃくとおか)」、そして「二百二十日(にひゃくはつか)」は「農家の三大厄日」と呼ばれています。

農業をしている方なら、一度は聞いたことがあるかもしれませんね。二百十日は、立春から数えて210日目、二百二十日は220日目を指します。

ちなみに、2022年の農家の三大厄日に当たるのは、「八朔:8月27日」「二百十日:9月1日」「二百二十日:9月11日」となります。

この時期は稲の穂が出る実りの時期ですが、一方で大型の台風が到来するシーズンでもあります。折角の農作物が台風の被害に遭い、台無しになってしまうことも多かったことから「厄日」と言われるようになったと伝えられています。


果物の八朔との関係

では旧暦の8月1日である八朔と果物の八朔には、どのような関係があるのでしょうか。

果物の八朔が発見されたのは、江戸時代末期、広島県因島の浄土寺というお寺でした。当時の住職が「八朔の頃には食べられるだろう」と言ったことから「八朔」と呼ばれるようになったという説が有力です。

しかし、現代の八朔の収穫時期は12〜3月頃の冬の時期。旧暦8月1日頃にはまだ十分に熟れておらず、かなり酸味が強かったはずです。

果物の八朔の栽培が始まるのは明治時代からですが、それまではとても酸っぱい果物として食べられていたのかもしれませんね。


まとめ

現代では、果物の方がよく知られるようになった「八朔」。

八朔の日には、その年の実りに感謝し、そして人々が贈り物を通して団結を深めることが大切にされてきました。しかし、お世話になった人へ感謝の気持ちを示すという「田の実(頼み)」の心は、日本人の文化に深く根付いています。

今年の八朔の日には、身近な人への感謝を伝えてみてはいかがでしょうか。


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ナツメミサト

ナツメミサト

好きなものは、各地の遺跡や博物館をめぐる旅行。
史料を見て、遺跡や城下町などをひたすら歩きまわっていると、
当時の人々の息遣いを感じることができます。
歩き疲れた後は、その土地ならではの食事もよりおいしく感じますよね^^

学生時代は中世~近世の日本史を専攻し、学芸員資格を取得しました。
政治史だけではなく、当時の一般の人々が「どんな考え方でどんな暮らしをしていたのか」という社会史や文化史にも注目し、みなさんに分かりやすくご紹介します!

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