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【浮世絵】歌川広重「東海道五十三次」江戸から京都まで解説![袋井〜京都編]

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桑名

[七里渡口]


副題にあるように「七里の渡し」の風景です。ちょうど船が帆を下ろして桑名港に着いたところを描いています。図中の帆かけ船は大名が使う御座舟より簡素なつくりです。乗る船による身分の違いも広重は意識しているのでしょうか。

この画では、珍しく水が波立っています。これまで、雨風の強い画の時も、べたっとした青のコントラストで描かれてきました。気まぐれでしょうか。

七里の渡しは距離が7里(約27.5キロ)であることから、その名になりました。お隣の宿で10里の渡しが運航され、客の取り合いをしていました。

桑名宿も、宮宿ほどではありませんが旅籠数120の大きな宿場町でした。

熱田神宮へ向かう人、お隣の四日市へ七里の渡しを利用する人で賑わっていました。また海を避けたい人には佐屋街道(別名・姫街道)と呼ばれる脇街道がありました。その名とのとおり、女性や子供のためという意味です。伊勢湾沿いに迂回するようになります。

三重県桑名市東船馬町


四日市

[三重川]


三重川にかかる質素な橋の風景です。風で飛ばされている旅人の表情がユニークです。遠くに見えるのは四日市港です。画面右から左にかなり強い風が吹いていて木も草も揺れています。橋は三重川(現在は三瀧川)にかかる三瀧川橋(みたきがわばし)です。

四日市宿には伊勢神宮へと向かう追分街道があり、伊勢へ行く人と東海道を進む人と両方の旅客で賑わっていました。

四日市宿も旅籠数98の大規模な宿場で、宮・桑名と続く人出の多い賑わった場所でしたが、広重は旅のスナップを見るようなこの情景を描いています。

三重川は、現在は三滝川(みたきがわ)といい、伊勢湾にそそぐのどかな川の風景はあまり変わりません

また四日市宿と宮宿を結ぶ「十里の渡し」が運航されていて、宮宿と桑名宿を結ぶ「七里の渡し」と競合していました。この渡しの料金は正徳元年の記録によれば、桑名まで旅人一人45文、荷物一駄100文、馬一頭123文だったそうです。

三重県四日市市北町


石薬師

[石薬師寺]


石薬師寺に入る旅人を描いています。刈り取られた稲が積まれていることから秋の風景と分かります。

その田んぼ道を石薬師寺に向かって歩く旅人、農作業をする農夫が描かれています。背景の山は典型的な水墨画の手法で奥に行くほど色を薄くして遠近感を出しています。

広重はこのシリーズのほかに『東海道名所図会』で春の石薬師寺を描いていて、大きな桜の木のあるこの場所の風景がゴッホ作「タンギー爺さん」の右上に描きこまれていることで知られています。場所はこの画と同じようです。

石薬師宿は、宿場に制定されたのは1616年と遅く、規模の小さい宿場で農化を営む人も多く、休憩をする旅人の多いところでした。小さな宿場ですが『江戸参府日記』を書いたドイツ人ケンベルは、長崎から江戸へ戻るときに利用した記録が残っています。

石薬師寺は薬師如来を本尊とした寺で江戸時代には参勤交代の大名が道中の安全祈願をした寺です。

三重県鈴鹿市石薬師町


庄野

[白雨]


旅人が庄野宿へ入る道で雨に降られてしまい、急ぐ様子が見事にとらえられています。宿での画で朝の霞みを描くのに使用されている影絵のようなコントラストの手法が、雨の風景にも効果的に使われています。

駕篭は雨に濡れないように上から合羽をかけられ、旅人は合羽を深く着込んで番傘をさしています。番傘には、版元である保栄堂の宣伝が入っています。

合羽は江戸時代の旅とともに発達しました。はじめは蓑だった江戸の雨具は、合羽へとかわりました、また紙に油やしょうゆをぬって防水加工した油紙をつかった、合羽が旅人に重宝されました。

庄野宿は、東海道の中で一番遅い1624年に、宿場に制定されました。規模の小さい宿場で地域も農村的性格が大きく、宿場の経平は厳しいものでした。

三重県鈴鹿市庄野町


亀山

[雪晴]


シリーズ中3枚しかない雪景色の一枚です。

面の右上に小さく亀山城が描かれ、雪で覆われた山と城下町が広がっています。そこを、大名の行列がのぼっていく様子が、小さく描かれています。有名な蒲原宿の図にひけを取らない迫力があります。木を真ん中に置いて画のバランスをとる手法は広重の得意のパターンですね。

亀山城は織田信長に命により明智光秀によって作られた城です。画の通り小高い大地の上に石垣が積まれています。江戸時代はこの本丸に徳川家康、秀忠、家光が宿泊することがあり、城主は二の丸にいました。

明治時代まで五層の城が残っていましたが、現在は石垣の跡があるのみで公園として整備されています。

三重県亀山市東町


[本陣早立]


宿場町には大名が宿泊する本陣が必ず設置してありました。その様子がシリーズ47枚目にして初めて描かれています。

玄関口から裃を着て出発する大名の姿が見られ、戸口でお辞儀をしている男性がいます。本陣となる場所は、土地の有力者の家となっていることも多かったです。画面右側の竹は宿泊している大名の名を示すものです

画中には「美女粉」などのおしろいや香水の宣伝の木札が掲げられています。宣伝のポスターがこの時代にすでにあったのですね。

関宿は、壬申の乱のころにできた三大関所(他2つは、越前の愛発の関・美濃の不破の関)の一つ「鈴鹿の関」があり、古くから関所とともに栄えた宿場です。

また、街道の分岐点もあり、往来の人が多くいました。

現在、建物保存地区として宿場町の風情を残す観光スポットがあります。まるで江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気です。

三重県亀山市関町中町



出典:Wikipedia 亀山市関宿伝統的建造物群保存地区


坂之下

[筆捨嶺(ふですてれい)]


副題は、日本画の巨匠・狩野元信(1476-1559)が、この場所をとおりかかったとき、鈴鹿山脈に連なる山々の変化と岩のごつごつした岩根山を描こうとして、納得のいく画にならず筆を捨ててしまったことから筆捨嶺・筆捨山と呼ばれるようになりました。筆捨嶺は鈴鹿山脈に連なっている標高260メートルの小さな山です。

その筆捨山の景色を茶屋で優雅に眺めている旅人たちが楽しんでいます。旅の途中での茶屋の一服は、疲れた足を休めてくれたに違いありません。

この画の大半を占めている、狩野元信が描けなかった筆捨て山の描写には、広重は納得したのでしょうか。

坂之下宿は宿場町として栄えていた面影はなく山里で集落数も少なくなっています。

三重県亀山市関町坂下


土山

[春の雨]


宿場の東側を流れる田村川を、雨の中大名行列が通っています。田村川は鈴鹿山脈に続く細く急な川です。広重はこの川でシリーズ中、唯一の流れる水を描いています。

土山宿は伊勢湾からの風が入り、年間降水量も高いです。雨が降りやすい地域です。近年では伊勢湾台風の被害は有名です。歌にも「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われています。

土山宿への道は箱根に匹敵するような難所で、明治時代に鉄道を開通される時には、鈴鹿峠を避けて迂回して線路が敷かれました。

滋賀県甲賀市土山町北土山


水口

[名物瓢箪]


品のある絣の服を着た女性が優雅に瓢箪を干し、赤子を背負った女性、そのほか二人がまな板にのった夕顔の実を切っています。それを横目に旅人が通り過ぎていきます。

このシリーズは秋冬の風景が多いので、夏の風景は目新しいです。

道中で最後の難所だった鈴鹿山脈は奥に小さく描かれ、京に近くなって平地になってきたことがわかります。

江戸時代、この地域で干瓢の生産はありましたが、それほど盛んではなかったようですが、広重の画で有名になったようです。

現在も国内産干瓢の市場は栃木県産がほとんどです。滋賀の水口干瓢(みなくちかんぴょう)のシェアは1%ほどですが国内3位です。地元の人の努力で地場産業として続いています。

水口宿は西に水口城があり、この地域は東に宿場町、西は城下町として栄えました。城下町の風景ではなく、のどかな画となっているのはシリーズの特徴ですね。

滋賀県甲賀市水口町元町


石部

[目川之里]


街道沿いにあった立場(たてば)という、茶屋よりも規模の大きい休憩処の風景です。

目川の名物は茶飯と田楽豆腐でした。この店は『江戸名所図会』(斎藤月岑が親子3代にわたって全国各地の名所を俯瞰的に描いた江戸時代の旅行ガイドブックのような本)から模写されています。奥に描かれた梅の並木、柔らかな色調の山と湖などは広重らしい描写で、上品にまとまっています。

京都から9里半(約40キロ)の石部宿は、京から江戸へ向かうとき、最初の宿として良く利用されました。普通の人が一日歩いて休むのにちょうどよい距離です。

現在も石部宿駅は江戸を意識したレトロな駅舎で、田楽豆腐の店もあり宿場町を観光に使っています。

滋賀県湖南市石部中央


草津

[名物立場]


前の宿場に続き、土地の名物を食べさせる休憩どころ矢倉の立場(たちば)の風景です。店の看板に「姥が餅や」とあるのがわかります。

店の前では大きな荷物を運ぶ飛脚、早駕篭にのっている旅人と、店内にも多くのかごや客が描かれていて、人の往来が激しい様子がわかります。

姥が餅は餅の周りにあんこをつけて丸めたものです。この餅には戦国時代に織田信長に滅ぼされた武将・佐々木義賢の遺児を育てるために、乳母があんこ餅を売っていた。という逸話があります。

画にある「矢倉の立場」は草津宿を出てしばらく行ったところにあり、中山道との分岐点です。「瀬田へ寄ろうか 矢橋へ下るか ここが思案のうばがもち」とうたわれて有名になった場所です。

草津宿の本陣は、現在もその姿を残していて歴史的建造物の保護地区に指定されています。観光化された施設ではなく、本物を見ることが出来る数少ない場所です。また「うばがもちや」も現在に受け継がれています。

滋賀県草津市草津


大津

[草井茶店]


この茶店も石津宿同様に『江戸名所図会』から引用しています。並びの店は広重が書き足していて、画面右上に向かって遠近法を用いた構図は石津宿と同じですが、牛車の列が絵を引き締めています。

関西では牛が大きな荷物を車に乗せて運ぶことが多く、関東は馬の背に乗せて運ぶことが多かったそうです。ちなみに明治時代に入って馬車に乗るようになるまで国内で車を引いていた動物は牛でした。

大津宿は旅籠の数も71と多く、琵琶湖から船で運ばれた京都への荷物を牛車で運ぶ往来の人々、東海道やほかの街道へ行く旅人で賑わっていました。

滋賀県大津市御幸町


京都

[三条大橋]


多くの川を渡り、山を越え、終着地三条大橋に到着です。

橋にはぎっしりと人が描かれ、京の賑わいが感じられる一枚です。橋の上に描かれているのは、番傘をさした裃の侍、公家の女、茶筅売り、大名行列のかごと、身分の上下を問わず往来しています。

特に京都らしさを感じさせるのは、茶筅売りです。茶筅は茶道に使う竹を割いてまげてお茶をたてる道具です。その茶筅を歳末になると大きな背負いものに指して空也堂(京都の寺 空也聖人が開いた)の僧が売り歩いていました。それをまねて、僧のような装束で手製の茶筅を売る人々がいました。

図では木橋が描かれていますが、三条大橋は天正19(1590)年に豊臣秀吉の命を受けて増田長盛によって作られた石柱橋です。初めから欄干は木で、柱は石でした。しかし広重は木橋を描いているように思えます。53次最後の一枚にして新たな謎です。

欄干の擬宝珠は初代の橋のものが使用され、その一つには新選組がつけたという刀傷があり、幕末ファン必見の場所となっています。

また現在の三条河原はカップルの集う場所となり、宿場の終着点としての面影はありませんが、隣の四条河原は夏には川にせり出した納涼床の店が並び、京情緒の味わえる場所です。

京都府京都市東山区大橋町


出典:Wikipedia 三条大橋


まとめ

『東海道五十三次』は、現在は風景画、観光名所的な画として有名ですが、史料価値も意外と高く、江戸の職業人たちの姿を今に伝えています。

一方で、風景の写実性については疑問点が残るところです。その場所にない山や木を大胆に画中に取り込み、ありえない角度から見た構図が多々あります。しかしカメラアイ的な構図は秀逸で、カメラを持たせてみたら面白い写真を撮ったのではないかと思えます。

門前町、城下町になると、城ではなく違う風景を選択するのは、旅人や働く人々の自然な姿を、広重はスナップショット的な感覚で描きたかったのではないかと考えます。

時代は令和になりましたが、観光化されている宿場、観光化されていなくても画と同じ風景をそのまま見ることが出来る場所もまだあるので、江戸情緒を感じる旅に行ってみるのもよいですね。

 わつなぎオススメ記事 >>【浮世絵】歌川広重「東海道五十三次」江戸から京都まで解説![日本橋〜掛川編]


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ライター紹介 ライター一覧

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小さいころから歴史好きで、大学では日本美術・江戸文学を学び、歴史系の学芸員の資格を取りました。

40代の主婦ですのでかれこれ四半世紀前のことになりますが、研修旅行では、おいしいものもろくろく食べず京都の寺社を東奔西走していました。博物館や美術館にもレポートなどでよく行きました。

現在は子育てや体調もあり、実物を見る機会はめっきり減りました。それでも、家にある図録などから縄文式土器のパワーに惹かれ、仏像の美しさに見入り、焼き物や工芸品の匠の技に感心し、庶民の力が花開いた町人の世界に思いをめぐらせ・・と、江戸文化や美術をできる範囲で楽しんでいます。

作品から当時の人々の息遣いを感じることができると、歴史を楽しむ醍醐味がわかります。そのお手伝いができたらいいなと思います。

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